またまた声のこと、シューベルトの歌の秘密

2024年6月19日

声のことは随分長いことテーマにしてきましたが、語り尽くせない深いテーマですから、今日もまた声のことに触れます。

声の講座に、話し方教室のように感じいらっしゃる方もいるようで、そこのところははっきりと区別しておきたいと思います。話し方以前に声があり、その声がテーマなのです。

しかし声は意識されることがほとんどないと言っていいほど日常の意識から隠れているので、声をテーマにしても何のことだかわからないことが多いようです。

私のように長いこと声と付き合っていると、人となりが声に丸出しになっているので、人数が少ない時のワークショップなどでは参加者の声を聞くのはこの上ない楽しみです。

 

声に関心を持ち始めた人たちは、まず自分の声が気になります。自分の声に少しは気づいているものです。ところが自分の声というのは自分では半分しか聞いていないのです。というのは声は外に出てゆくと同時に体に響いてしまい、それが骨にまで響き、その響きを聞いてしまうからです。録音された声を聞いて自分の声だけがわからないというのはそれによるのです。他の人の声は録音でも外に響いている声を聞くので「あの人の声だ」と他人は判別できるのです。

自分の声に悩んでいる人というのは多いものです。声が通らないというのが一番多いかと思います。相手に伝わらないということです。

声というのは通らないものなのでしょうか。声が通らない原因は声を作ろうとしすぎていることです。分かっている部分もあるでしょうが、大抵は無意識で声を作っています。作り声は雑音が混ざり過ぎて聞きにくいです。大きな声が通るかというとそんなことはなく、作った大きな声はうるさいだけで通りません。私の声は音量的には大した声ではないのですが遠くまで通ることもあるのです。私の声は人の耳には遠くからでもよく聞こえるのですが、近くでもマイクには入らないという特徴があります。

 

私の声を聞かれた方達からどうしたらその声が得られるのかと聞かれます。私が一番苦手としている質問です。この声を得るためのHow toと言えるものがないからです。

とは言っても私がこの声を持つようになった経緯はあるような気がします。

その一つは歌うことでした。それもシューベルトの歌を歌ったことだと思っています。

シューベルトの歌は色々ある歌の中で特別な歌だと思っています。1

歌として世界中から愛されています。音楽的カンテから言うと自然で綺麗なメロディーということになっています。でも私がこの歌から感じているのはもっと深いものです。綺麗は綺麗でいいのですが、そんな次元で特別なのではなく、「言葉を喋るように歌える」というところです。シューベルト以外の歌は、歌詞にそれにふさわしいメロディーをつけ、綺麗な音楽的な歌に仕上げたものだと考えています。音楽的に優れていのでしょうが、言葉を歌うという仕事はそこからは見えてきません。シューベルトの歌は言葉が歌い始めます。音楽であるより言葉なのです。ですから気がついたら言葉が奇麗なメロディーをまとっていたというものです。

私はシューベルトの歌は音楽と見られていいのですが、それ以上に言葉の芸術なのではないかと見ています。

人間の声は言葉によって作られると言っていいものです。色々な言語から色々な声が生まれていると思っています。日本語が日本人の声を作っていると言ってもいいのです。ですから言葉が歌えるシューベルトの歌というのはとても貴重で、音楽的に優れているというだけでなく言語的に美しいのです。言葉をはっきり歌うというようなことをしなくても、言葉が自ずと響いているのです。あまり言われないことですが言葉が美しいのです。それなのにほとんどの人が朗々と張り上げて歌います。確かに歌いたくなるのでしょう。それくらいメロディーが綺麗というのも確かですが、それ以上に言葉が美しいのです。。

シューベルトの歌を歌うことによって、つまり言葉を歌うことを学んだことが、私の声にとっては大きいともいます。言葉のアーティキュレーションなどではなく、言葉の命をシューベルトの歌から学んだということです。

日本人の体質を持ち、ドイツ語で鍛えられた声ということなのかも知れません。

 

今は歌を音楽として評価する傾向が強いです。言葉を忘れたところも声が育たない原因があるのかもしれないと思っています。音楽にこたわりすぎているのです。音楽に拘ると固くなってしまいます。固くなるのは頭です。寛容で亡くなってしまいます。もっと言葉の懐の深さに目覚め、おおらかになる必要があるのだといいたい気持ちです。

日本語のいい歌が欲しいです。日本語が歌い出しているような歌をです。日本の歌は西洋の音楽が入ってきたことで育たなくなってしまったような気がしてならないのです。以前に柳兼子さんの歌を聞いて、その声の豊かさに感動したことがあります。彼女は西洋音楽に接する前に小唄とか端唄など日本語の歌を歌っていたと聞いて、さもありなんと思った程です。

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