自然に思うこと
レンギョウの木が庭にあります。
黄色い花が今年もとても力ずよく咲いてくれました。
これ見よがしの黄色でした。
花が枯れ始めたので、枝を切りました。
今はほとんど丸坊主の状態です。
最近は毎年この時期になるとこの枝切り仕事が私の役割です。
花が咲いた所をそのままにして置くのはよくないのです。
その先からどんどん新しい芽が出て、見る見るうちに大きくなってしまいます。
昔は、枝を適度に切ることが木には大切だと知らずに、伸び放題でした。
伸び放題にしておいたため、目が当てられないほど大きくなってしまいました。
職人さんに手を入れてもらって、その時いろいろと教えてもらいました。
それ以来、毎年、枝切りは私の死後度になっています。
レンギョウはとても強い植物です。
伸びで行く若い枝が地面に接すると、そこから根っこが生えます。
若い芽が枝となって伸びるてゆく速度は、おおげさに言えば竹の成長のようです。
ですから、花が咲いて余韻に浸っていたりすると、
あるいは雨が降って枝切りができなかったりすると飛んでもないことになります。
その間に若い枝はぐんぐん伸びて行きます。
その枝が若いうちはまるでアラビア文字のように躍動的で美しいのですが、
大きくなると目も当てられない程、枝同士が絡み合ってしまいます。
今年も無事枝を切り終わって、新しい芽が新しい木の形を作って行くのを、楽しみながら見ています。
今年新しい枝に来年黄色い花が咲きます。
これ見よがしの黄色い花です。
わが家の庭いじり程度の植物の世界との接点ですが、いろいろと楽しんでいます。
これも自然の一部だと思っていますが実に教えられるものです。
自然というのはなるほど大きなものだと、そのほんの一端に触れているだけなのですが、感じます。
もし自然と丸ごと体当たりしたら・・、
私は測りしれない自然の威力に呑み込まれて消えると思います。
日本の自然観は、自然の大きさを予感から生まれています。
自然を詩(うた)に詠む時にそれを感じます。
ヨーロッパの自然観は違い、自然は人間のものです。
科学と風景画はそこから生まれました。