雅楽に見る息の長さ
昔からよく聞いているYou Tubeにグルックのオペラ「オルフェウス」の中の有名なメロディーという曲のフルートとオルガンの演奏があります。「精霊の踊り」が有名で、それが単独で演奏されるることが多いですが、元々はこの曲と対になっているものですから、知らずのうちに多くの人が案外耳にしていると思います。
私が好んで聞いているのはロシアの女性フルート奏者、Svetlana・Mitryaykina、スヴェトラーナ・ミトリャイキナ?の演奏です。
Gluck-Melody from Orpheus for Flute and Organ Svetlana Mitryaykina
で検索してみてください。
この演奏の特徴は極端なスローテンポです。おそらく現代人のテンポ感覚からすると「遅すぎる」と感じる人のほうが多いかもしれません。紹介した友人の半数以上が「これじゃ音楽じゃない」とまで言う人がいたほどです。
私には逆にこのスローテンポが心地よいのです。あまり言葉にすると真実味が消えてしまうので、控えめに言うと、そこには次元の違う光の様なものが生きているのです。
この女性の演奏を初めて聞いた時、驚きと同時に喜びがありました。このテンポで聴きたかった、と言うのとようやくこのテンポに出会えたと言うものです。
何度も繰り返して聞きました。もう10年来のお付き合いですから、何回聞いたかわかりません。全然飽きないのです。それどころか半ば中毒にかかっている様で、また聞きたくなるのです。
そうしたある日また聞いていると、このテンポどこかで知っていると思ったのです。ゆっくり考える暇もなく「雅楽のテンポだ」と直感的に気づいたのです。現代人の生活のどこにもないテンポです。ですから遅すぎると言われてしまうのです。雅楽の現代における位置の様な感じです。
ドイツで雅楽を音楽付きの友人と聞いたことがあります。ゆっくり過ぎることがテーマになりました。昔の日本人はこんなテンポで生きていたんだろうけれど、現代のヨーロッパにこう言うテンポはどこを探しても見当たらないよ、と言われてしまいました。しかしこののんびりしたテンポに全然ストレスを感じないのは、事実です。雅楽のテンポは、頻繁に演奏された当時の人間の生活全体を反映しているものです。それは今と違ってゆったりした時間の流れの中にあって、のんびりとストレスなど知らずに人々は生きていたのだろう、と言うのです。
確かにそう言う見方もできるとは思うのですが、それは現代中心の、現代からしかものを見ていない反面的なもののように感じるのです。私が日本人で日本的感性を持っているからなのかもしれませんが、ヨーロッパの人たちとは何かが違うのです。
私は雅楽の中に生きているテンポに独特な光と言ったものを感じます。地上的な光ではなく異次元的な光です。敢えて言えば霊的な光です。霊の世界に音楽があるとすると、こんなテンポなのかもしれないと思ったりします。もちろん色々とあるのでしょうが、基本的にはこんなものではないかと想像します。雅楽と言う音楽、そこに流れるテンポはまだ人間が霊の世界のことを知っていた時の音楽でありテンポなのではないかと言う気がするのです。
今流行りのスピリチュアルというものではない、霊的なつながりの様なものです。まだ霊的世界と結ばれていたのかもしれません。そんな中で好まれていたのが雅楽だと思うのです。
先ほどのフルートの音は、とても息の長い演奏で、他で聞くことができないほどに異常な長さです。ロシアという民族の中にはどこか東洋的な、私たち日本人に通じる何かが生きているのではないかと思わせるような息遣いです。このフルートの音を聞いて、そのテンポの取り方に何か雅楽に通じるものがあると思うのは、決して唐突ではないと思っています。ロシアには東洋に通じる何かがあるのでしょう。ドイツの音楽家と話をしているときにロシアの音楽のことを「東洋の音」と言うことがあります。初めて聞いた時は流石にハッとしたのですが、よくよく考えると、ドイツから見ればしっかり東洋だと納得できるものがたくさんあることに気がつき、最近はあまり違和感なく受け入れています。
最近足を運んだ音楽会はどれも息の短いものばかりで、大急ぎで音楽をしているのです。音楽を聴いているのに却って体が疲れてしまいました。音楽の流れの中に自分を預けきれないもどかしさの様なものを感じていました。そんな時はあのフルートの音を聞きながら体に溜まった色々なものをほぐしてもらっています。雅楽を聞いてもいいのですが、ドイツに長いせいか、ロシアのフルート、スヴェトラーナの音から感じる東洋的な息の長さの方がしっくりする様です。