螺旋的思考法

2024年9月6日

私たちの時代は、物事を直線的に考えて解決に向かうのではなく、どちらかと言えば螺旋的な動きを取りながら考え、結論に導いていくと言うことだと思います。そこにはっきりとした解決があるのか、どうかすらわからないこともあります。急がば回れと言うのに似ていますが、少し違うようです。

螺旋の特徴は、基本的には円周運動と言って良いもので、ぐるぐると回っているわけで向かっている方向は瞬時に変化します。それが螺旋運動の特徴で直線的な思考法とは全く別の動きをとっているんです。直線の場合は正面に向かってまっしぐらに進めば良いわけで、少しずれてしまったり、脱線したりしたら一大事で、それこそ解決にたどり着かないわけです。ところが螺旋的な思考と言うのは常に方向が変化してしまうと言う不思議な傾向を持っているので、目的を定めるのが非常に難しくなります。今自分がいるところが自分のいるところと言うことをしっかり把握していなければなりません。そこから少しまた前進すれば進行方向が変わってしまい、見える景色も全く別のものになってしまい、当然先ほどまで目的となっていたものが今度は予想しなかったようなものが目的になったりします。こうして瞬時動いて方向を変えながら前に進んでいくと言うのは直線的思考に慣れた人にとっては難しいことだと思います。

直線的思考の場合は、出発点から目的までどのくらい自分が進んだかよく見えるし、今いるところから目的までどのくらいあるかというのも予測できます。しかし螺旋的に動いているときには、確かに自分が動いた距離と言うのは図ることができるのですが、方向と言うことに関して言えば、直線とは全く別で、瞬時に変化すると言うことが起こり、そのことを理解しなければなりません。

なぜ螺旋的に考えなければいけないのかと言うと、社会の動きそのものが現代は直線ではなく螺旋と言う形をとっているからではないでしょうか。その社会の理解するためには、自らも螺旋的な思考と言う今までの直線型と違った考えにならなければならないのです。

一つ例をとってお話ししましょう。

パターン的思考というのがあります。これなどは直線的思考の変形だと思っています。すべてをパターン化してしまうと結論と言うのはよく見えるて来るわけですが、社会がパターン化している中ではうまく機能するでしょうが、今日のように螺旋的になってしまった、ある意味複雑な社会ではうまく機能しないことになります。私がよく取り上げている倫理の問題なども、今日的には螺旋的と捉えるのがふさわしいわけで、従来のように直線型に倫理を理解しようとすると、倫理の押し付けと言うことが起こってしまいます。

夏目漱石が言う「知に働けば角が立ち」と言うのは、知的にものを理解しようとすると、私の言う直線型になってしまい、至る所に角が生まれてしまうのではないでしょうか。丸く収めると言うのも直線をただ丸くしただけですから螺旋型とは違います。螺旋型は永遠方向を変えて動いていると言うことのような気がします。方向は360度に向かって開かれています。

直線型思考を産んだのは、やはり知性が主力で知性が支配していたことからで、知性よりも、意志の力が中心になってくると、意志というのは直線的出ないため、しかも今の社会に適合しようとすれば、螺旋的になるので、これからの人間の思考の中に意志の力がどうしても必要になってくると思います。

また意志か、倫理かと言われてしまいそうですが、螺旋的に考えているので、直線的に結論を出すのではなく、ある意味では堂々巡りのようにぐるぐる回っているので、その事はお許しいただきたいと思います。

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