やっつけ仕事
YouTubeで最近の若手の演奏家がどんな演奏をしているのかと覗いてみることがあります。もちろんいい演奏もあれば、面白くもなんともない演奏もあります。年寄りの寝言と聞いていただいてもいいのですが、予想以上に「この人とやっつけ仕事をしている」と感じる演奏が多いことです。あるは「これみよがしの演奏と言うのか自惚れ」も気になります。
私の持つそうした印象は、、音楽以前のこともあります。音楽をする人たちの一面的な人間教育はいつも問題になりますが、音楽的には楽譜で音楽を勉強したことの弊害と結びつくものだと考えています。やっつけ仕事という言い方は少し乱暴かもしれませんが、感情の伴っていない機械的な演奏、大袈裟なパフォーマンスというのも気になるところです。そうした演奏に共通した特徴は、聞いていて疲れることです。いろいろな疲れ方があるのですが、一様に疲れると言うことでは共通しています。
楽譜と言うのは実にありがたいものです。楽譜があることで作品が後世に残るわけですし、何百年も前の作品を今日演奏できるのも楽譜に残されたからで、楽譜のありがたさは百も承知しているのですが、楽譜を演奏すれば音楽になるという考えで音楽をすることになれば本間転倒です。楽譜はあくまでも便宜上のものと知っておく必要があります。文章の時には行間を読むという言い方がされますが、音楽にも似たことは起こっているはずです。音符と音符の間というのか、五線の間というのかは知りませんが、あのお玉杓子の間にあるものが音楽にとっては一番大切なところなのです。楽譜のように見えるものではなく、見えないところを読み取りそれを音にできるかどうかで良い演奏かよくない演奏かが別れてしまいます。
老婆心から加えて言うと、若い人たちは、技術的な練習をすることに専念して、他の人の音楽良い演奏形の良い演奏をちゃんと聞いてきていないのではないか、そんな印象があります。音楽の基本は聞くことから始まるので、聞くと言う練習をたっぷりしないと良い演奏につながらないと思います。
気になるもう一つはテンポです。今は時代がスピード化しているので、何でも早くと言うのは時代的傾向なのでしょうが、音楽がそれに付き合う必要ないと思います。若い人たちは往々にしてテンポが早いです。スピード感のある演奏の方が技巧的にインパクトがあるからなのかもしれません。ゆっくりは下手で速く弾けないと見られてしまいかねませんが実際は違います。演奏に携わると、ゆっくりしたテンポは必ずしも技術的に劣っているからでないことは明らかです。かえって充実したゆっくりのテンポは素人には難しいものです。そこにその人の音楽の力量を伺うことができます。早いテンポで弾くのは練習を重ねればいいだけと言うこともあります。
全体の印象を言うと、音楽から潤いが失われていると言うことです。音楽が人間性に満たされていないのです。音楽以前に音楽の素、要である音をしっかり聞いていないという、もの寂しさも感じます。これから音楽はますますスカスカになってゆき、空っぽになってしまうのでしょうか。おそらくそのことに気づいている人もたくさんいるのだと思います。しかし音楽が商業的になってゆくと、この傾向はますます増長してしまうでしょう。音楽活動が商品的価値を持たなければならないことは理解できますが、商品である以前に、もっと大きな役割が与えられているのではないか、そんな気がするのです。
この文章を書きながら、音楽というのは実に繊細なものなのだと言うこと改めて感じました。他の芸術にない独特の繊細さを持ったものの様です。