今回も多くの方と声をテーマに出会える様です
昨日日本に入りました。今回は大阪の関空でした。シュトゥットガルトの自宅ら関空まで、のべで27時間の長旅は慣れても疲れるものです。疲れてはいますが元気です。
これから近畿地方、中部地方の知人友人を訪ね、実家の整理に際し預かっていただいた荷物を整理しながら北海道に飛び札幌で初仕事をして、その後関東地方に向かいます。随分東京での会がなかったので、東京という空気の中で多くの人と声とライアーを通して出会えることがとても楽しみです。
声のことは足掛け二十年やってきたのですが、声というのはあまりにも日常的なもののためか、残念ながら単発でオファーがあるだけで継続することがありませんでした。大きな理由は、私の声へのアプローチが、一般に考えられている発声というジャンルに属さないことにあると考えています。練習して、訓練して上手になるものではないのです。それは人生そのもので、何かの練習をして人生が良くなるものではないのに似ています。人生というのはどんなに頑張っても、所詮未完成で終わるものなのではないのでしょうか。
つまり私の声のアプローチは、声が良くなるということを目標にしていないものんのです。目標にしているのは、相手に伝わるということです。これでもまだ抽象的なのでもっと具体的に言うと、相手を威圧しない声ということで、相手が話し手の声を安心して止められる、そういう声を願っているのです。
私たちは相手に何かを伝えようとしている時、まず第一に内容的なことを考えてしまいますが、実はその時の内容はどんなに素晴らしいものですも、声と言う道具を用いている限り、声が相手に受け入れられることが前提となるはずなのです。私はそこのところに焦点を当てて相手に聞いてもらえる声と言うことを考えました。声が受け入れられればコミュニケーションの第一歩が始まります。しかし、声のところで挫折してしまえば、どんなに内容が素晴らしいものでもそれは相手から拒否されてしまうのです。
声と言うのは、あまりにも当たり前すぎるものなので、それをメンテナンスしてみようと言う事はあまり思いつかないようです。しかし、話の内容よりも、声に魅力があるかどうか、つまり声が受け入れられているかどうかの方が比率としては大きな役割を演じていると思います。
よく耳にする「話し方教室」のようなテクニックとしての話し方は、意外と簡単に思いつくところで、そのために努力する方が多いのですが、実はそうしたテクニックよりももっと深いところにある声の質、つまり声が相手に受け入れられているかどうかは、素通りしてしまうものですが、思っている以上に大きな役割を演じているものなのです。
このこと、今回の声のワークなどを通して皆様と確認できたら嬉しいと思っています。