特別な人

2025年1月8日

年末年始は友人と会う機会が多くなります。一年の締めくくりという口実をつけて飲み会などをするのですが、古くからの友人だけでなく、たまに初めて会う人も紛れ込んできたりします。それはそれで楽しいものです。今年はドイツの中に限っていうと何人かの新しい人と会う機会がありました。

その度にいろいろな人がいるもだと感心してしまいますす。初めてなのに初めてを感じさせない人もいれば、以前にあったことがあるのに、いまだに馴染めないといった人もいます。

そんな中に、自分は特別な人間だと言いたげに振る舞っている人がいて、気分を害していました。私にとって特別な人というのは、きっと本人は何も特別だとは思っていない人のことでなのですが、その自称特別な人は自分を特別と思っているだけなので、鼻持ちならない輩に属しているので本来なら会いたくないような人種です。

本当の意味で特別な人は透明感があります。ところが自分を特別と思っている、自称特別人は透明とは縁遠く、薄汚れていて、濁っています。一緒にいると不愉快になるオーラをむんむんとさせています。

自惚のなせ技だと確信しています。なのですが、いついかなる場にあっても特別扱いされたがるわけですから、一緒にいると疲れます。特別扱いされたいがために出世街道を歩く人もいます。議員さんなどは制度的に特権を使い放題できる特別階級ですから、特別扱いされたい人たちは議員を目指すと言われたことがあります。私にとって議員というのは本来そのような意識でなるべきものではなく、奉仕精神の塊のような人がなるべきものなのに、現実は全く反対で、特別扱いされたい気持ちが優先してしまうのでしょう。

その人たちは権力を振り回したがる人とは違います。特別待遇を欲しがる人は権力闘争とは別のところにいます。どちらかといえば漁夫の利を狙っているような狡い人です。自己満足が優先的に働いて、それを満たしたいだけなのです。結局は自己満足に終始する質の悪いエゴイストです。

これは人間の業、あるいは性なのでしょうか。いつの時代にも、どこの国にもそういう輩はいるものなのです。人間とは性善説をとるべきなのか性悪説かとも違う、自分が可愛くて仕方がない器の小さい小心者ですから、小児症患者、つまり成人になりきれていない大人ということです。いつまでもガキなのです。大人になると謙虚と謙りの意味がわかってきます。

日本の政治家の大方はこのような傾向にある人の集まりなのかもしれないと思うと、自己満足の満たし合いのような場が国会ということになってしまいますから、お先真っ暗ということになってしまいます。日本だけでなく、自分のことなど省みないイサギの良い政治家がどんどん出てきてほしいと願うばかりです。

新年早々暗い話で申し訳ありません。

コメントをどうぞ