専門家と天才とアマチュア
専門家には専門家の美しさがあります。いっしようをその仕事に捧げた姿は凛として、私の背筋が伸びます。
またアマチュアにはアマチュアの清々しさがあります。そこに見られる違いは明確ではないですが、やっていることを生業としてやっているということだけではないようです。
アマチュアという響きはプロとは違って緩いものを感じますが、昔読んだ本の中に、イギリスにはプロ以上のアマチュアが生まれる土壌があるというのです。気骨のあるアマチュア精神のことです。アマチュアというと一見暇人にもみえなくもないですが、生涯アマチュアを通すというのですから、プロの意気込みとは違った気骨のある人たちには違いありません。
ここでいうアマチュアというのは素人とも違うものです。本気です。イギリスのアマチュアはイギリスのアマチュア気質なので、日本人的国民性には見られないものかもしれません。だからでしょうか、それを読んだと時にすごく憧れたのです。教えてくれたのは平凡社の百科事典の初代編集長の林達夫さんでした。哲学的な仕事をされる傍ら岩波文庫のファーブルの「昆虫記むやベルグソンの「笑い」の翻訳者でもありました。彼そのものがアマチュア精神を生き抜いたような稀有な人でした。
物事を成就するにはいい意味での執着が必要です。天才的な人たちはみんな何がしかの執着に突き動かされているようです。時には悲劇的でそれで燃え尽きてしまう人もいます。アマチュア精神はムキにならないことでその執着から解き放されているわけです。ただアマチュアとしての執着は持っているのです。ここが分かりにくいところです。
アマチュアのこだわりを見つけることが私の今年の課題のようです。
芸の道はその答えを示しているように思えてなりません。
いつまでも終わりがないものだということです。一生は短く芸の道は長し。
初めては飽き、飽きてからまた始める。いい加減さの持続。