ライアーに編曲すると

2025年2月1日

ピアノ曲、シンフォニー曲、弦楽四重奏曲といった作品の中からライアーで弾けそうなものを探しては編曲をして、CDにしてきました。最近ではYouTubeでも聞けるようになっています。このところその作業をしないでいたのですが、またライアーに向かって弾けそうな曲はないものかど色々な分野の音楽を聴きながら探しています。

ライアーというのは不器用な楽器です。そのことに気づかずに弾いている人は多いと思います。表面的にみると、ピアノのように十本の指を駆使して弾くようなことはできませんし、しかもスピードはスポーツカーどころか人力車のようにゆったりとしたものです。

ライアーの本質はそういう観点からでは語れないものなのです。そんなことでは語り尽くせないのがライアーという楽器です。ではライアーとはどういう楽器かというと、その本質は、弾かないで弾くというところに到達できるということです。他の楽器は一生懸命に弾くことが求められていて、そのために猛練習をします。楽器の方もそのために開発されてきました。ヴァイオリンのストラディヴァリウスや近代に完成したピアノがこれにあたります。練習すればするほど上手になり、コンテストで優勝できるようになるのです。

もちろんライアーも楽器ですからそれ相応の基礎練習は欠かせませんし、ライアーと体と腕と指とが一つになるところまで訓練しなければなりません。いわゆる練習の時期ですが、その後は超絶技巧のように技巧に走るとライアーのいいところから離れていってしまいます。こんな楽器を私は他に知りません。ちなみにライアーを上手に弾く人たちの演奏を聞いてみた時の感想はというと、つまらないのです。友人の奥さんがライアーを弾くのですが、音楽好きな彼の耳にはライアーは不完全な楽器としての認識しかなく、「どこか間違っている」という感想を持っていました。彼が私を訪ねてきたので、夜にライアーを聞いてもらったのてすが、その時「こうやって弾く楽器だったんですね」と納得され、それ以降奥さんが弾くライアーに文句をつけなくなったということです。ちなみに奥さんはライアーを実に上手に弾かれる方でした。

以前に「ヤドリギとあくび」の中に私が昔勤めていた施設での音楽会のことを書きましたが、そこで障害を持ったお子さんたちの音楽への反応を描写しました。涎現象というべき反応のことです。特に重度の障害を持っているお子さんたちに顕著だったのですが、彼らの気に入る音楽になると、口元から涎が流れ出すだすのです。音楽と一体化して体の緊張がほくれるからです。障害を持っているというのは、能力検査などの結果からすれば、劣っている人たちのことを指しますが、それでは彼らを正しく理解することができません。彼らにはそもそも大きな問題があるのです。それは体が極度に緊張しているということです。その緊張というのはピアノが全く調律されていないような状態に比較できるかもしれません。こんなピアノを弾かされたのでは、プロの演奏家でも満足な演奏はできないのです。障害を持ったお子さんたちは、そんな体の中に閉じ込められているのです。音楽が彼らの体に入ってくる時、彼らのからだは敏感に反応して緩み出すのです。その緩みが涎につながるのです。

上手な演奏の時には何の反応も示さない子どもたちです。よだれどころか、うるさいと言わんばかりに拒否するように近くのものを叩いたり、大きな声を足したりすることもあります。音楽を聞いていてもです。音楽が障害を持った子どもを治療するというのは、聞こえのいいスローガンに過ぎないのです。子どもは正直ですから、自分の体の中に入ってくる音楽だけに涎で反応するのです。

ライアーは聞き手を溶かすような音を作り出すことができます。しかしそのためには技巧練習から離れないとできないのです。時々「私もライアーをやってます」とライアーを持ってきて私の前で弾いてくれる人がいます。でも大抵は針金を爪で引っ掻いているのです。これでは音に溶けてゆくどころか、聞いていてイライラしてきます。臭害を持ったお子さんのように周りに当たり散らかす行動に出たくなります。治療どころの話ではないのです。

 

編曲し終わったものをライアーで弾いてみると、今まで聴き慣れていた音楽から新たな発見をすることがあります。ライアーというフィルターにかけられたそうした楽曲は別の顔をしたものに変わるのです。ライアーには、うまく言えないのですが、音楽を濾過するような作用があるのかもしれないと感じています。

編曲の時にはとにかく音を少なくしてゆきます。ピアノ曲の和音は全部弾けませんから、和音の中から響きとして残したいものを選んでゆきます。作曲した人が見たら怒るような作業です。でもライアーで弾くためにはこうせざるを得ないのです。

ライアーの曲になってゆく過程はなかなか面白いものです。ライアーの曲と言えるものになるには、楽譜をライアー演奏に移行した段階ではまだまだで、弾き込んでゆくうちに、だんだんと表現するという悪い癖から離れてゆき、ただ音が鳴っているという静かな段階に入って行きます。そうなって初めてライアーの曲という感じで聴くことができるようになります。

 

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