富嶽三十六景、葛飾北斎
世界で一番名前の知られている日本人は間違いなく葛飾北斎です。北斎の富嶽三十六景は有名ですが、全部を見たことがあるという人は案外少なのではないかと思います。実際には36枚に、12枚のおまけがついているのです。
世界的に有名な大波の向こうに描かれているちいさな富士山をみると、メインテーマの富士山が小さいのに驚きます。シリーズのうちに正面切って堂々と富士山が描かれているのほうが数少ないのです。有名な赤富士と黒富士の他に何枚あるかないかに過ぎないのです。
他は大波の向こうの富士山と同じで驚くほど小さい富士山です。なぜ富士山をこんなに小さく描いたのか本人に聞くしかないのですが、小さく書くことでかえって効果的というふうにも言えますが、私は別の観点から見て見たいのです。
彼は富士山をダシにして当時の生活を風景の中で描きたかったのではないかということです。ほとんどが富士山よりも人々の生活の方に焦点があっていて、イキイキとしているのです。おけ作りの職人さんのオケの真ん中にちいさな富士山が見えます。オケの丸と富士山の三角の構図の取り方が天才的です。本当に小さくてよく見ないとわからないくらいなのです。しかしおけは絵の真ん中に堂々と位置して、そこで働いている職人さんもイキイキと描かれています。ただ富士山が本当にちいさいのです。
上野の国立博物館のショップでたまたま富嶽三十六景が絵葉書大にまとめられているのを見つけ、持っていれば誰かにプレゼントしてもいいやと思い買ってきました。全部眺めていると、ほとんどの富士山がとってつけたような感じで描かれているのが滑稽です。全く不思議な絵描きさんです。
場所は富士山が見える関東圏と、山梨県、静岡県というところからのものがほとんどですが、実際には愛知県の富士山が見えないところも選ばれていて、嘘と誠の混ざり合ったユーモアを感じます。
全てに共通しているのは突出した構図でず。そのセンスの素晴らしいことです。絵の中から当時の人々が飛び出してきそうです。奇抜なものが多く、こんな発想を持って生きていけたらさぞ楽しいだろうと羨ましい次第ですが、よく考えると、こういう奇抜な発想ができる人というのは往々にして尋常でない人が多いようなので、普通でよかったと胸を撫で下ろしています。
何年か前に六本木の森ビルで北斎展を見たのを思い出しています。壮大な数の展示でしたが、驚くべきは数よりもその多才ぶりでした。地図もありました。買い物袋まで手をつけていました。
先日、写楽は実は北斎の別の姿ではなかったかという説を読んで、私なりに説得力のある話だと思いました。二人は同一人物であったというのです。もちろんこんな突飛押しもない話はすぐに受け入れられないとは思いますが、一考の価値はあるもののように思いました。写楽が謎のように現れ謎のように消えていったのがその説の信憑性を高めているような気がしました。写楽ほどの力量の人が突然現れるという方が可能性としては薄いもののような気がします。