美は光なり。
先日新聞を見ていたら、今年のドイツの税収入は三年ぶりにプラスになったとの報告がされていました。それによって社会の景気が良くなったかのように報道していますが、とんでもない誤報です。経済はガタガタですから、一人一人の国民から税金をとんでもない比率で取り上げることから、税収入が上向きになったに過ぎないのに、あたかも社会的によくなっていると報告しているに過ぎないのです。
我が家のように一戸建ての家に対してかかる税金が今まで年間に十六万ほどでしたが、今年から五倍に跳ね上がりました。なんと収める金額が八十万に値上がりしたのです。この調子で税金を国民全部から徴収すれば、ドイツの経済が停滞していても税収入は良くなるに決まっています。値上がりの金額は家の大きさによって異なりますが、倍率が五倍になるのはどの家も同じですから、年金生活をしている周りの人の中にはどうしたらいいのか途方に暮れている人もいます。大手の会社の収支決済が赤字になると何千人と解雇しても今年は黒字になりましたと吹聴しているのも同じようなものです。
ということで、私は今年からはベストセラーを書いて急場を凌がなければと奮起した次第です。
そのほかに物価の高騰は凄まじく、そのうち税金にあてられているのがどのくらいなのかはわかりませんが、どこをみまわしても便乗値上がりばかりです。
それで税収入が向上したと政府は豪語するのですから、ドイツ政府も日本のインチキ政府と似たり寄ったりのような気がしてきます。
どうして政治というのはウソの坩堝になってしまったのでしょうか。ただ正義感を持って政治に携わっている人の姿も知っているので、あながち悪口ばかりで政治を語りたくはないのですが、日本の地方政治などをみていると、政治という名のもとに利権絡みの金の取り合いをしているにしか見えなくなってしまいます。
こうした様子をみていると末期症状ということを思ってしまうのは私だけでしょうか。今の制度の中から改良されてよくなるという気が全然しないのです。ポーカーではないですが、全取っ替えみたいなことはできないのでしょうか。もちろんそれで必ずしもよくなるという保証はどこにもないのですが・・。
教育というより人間育成ということに大きな問題があるのです。今日しくとなのつくところはどこへ行っても知性中心になってしまい、頭ばかりが冴えた人が社会のリーダーとなって社会を牛耳ってゆくようになってしまったのです。政治家は偏差値の高い学校の出の人が大半を占めています。知性が教育の中で培われた全てということになれば、シュタイナーの発言のように、盗癖のある人間ばかりになってしまうのは必定です。政治家の多くが、機会があったらなんでも盗んでやろうとしているのです。しかも無意識の中でそれが作り上げられてしまっている人ばかりですから、ある人が正当なことを言っても、彼らはそれが自分に向けられているとは微塵も思わないのでしょう。
教育が変わらないとダメということなのでしょうが、教育以前に社会が人間育成に何を期待しているのかを根本から考え直さないと、表面的に教育だけを変えても、全ては元の木阿弥ということになってしまいそうです。
社会がこのように暗いものに覆われている時だからこそ、一人ひとりが心の中に明るい光を灯したいものです。美しいものの中に宿る光、なんの力もないように見える美の光ですが、美は光そのものなので、芸術こそがその光を絶やさないための力になるものだと信じています。失望に暮れる人類を救ってくれるのは芸術以外にないように思えてなりません。