ペンタトニック
ペンタトニックと聞くとすぐに幼児や子どもの歌、童歌を思い浮かべますが実際にそれ以外にべンタトニックは、あまり表立ってはいませんが、隠れて使われているようです。
砂山という北原白秋の詩に中山晋平がメロディーをつけた有名な童謡はペンタトニックでつくられています。童謡ということになっていますが、そんな枠を超えて万人に愛されている名曲です。歌謡曲にもよくみられるようで北治三郎さんの「はるばる来たぜ函館」という歌い出しはペンタトニックです。クラシックではバッハの無伴奏チェロ曲第一番ト長調はペンタトニックで始まります。
探せばいくらでも出てきますが、特に注目すべきはジャス音楽の中でペンタトニックはとても重要で、ペンタトニックの習得はジャズには欠かせないものと言ってもいいほどなのです。アドリブの時には絶大なる威力を発揮しています。
ドとファを持たないペンタトニックはなんのために五音でできているのでしょう。
元々はペンタトニックは五度の音程から作られていたものでした。ペンタトニックの根音はラの音です。今日でも音楽をするときにラの音で合わせるのが暗黙の了解です。シンフォニーの始まりでオーボエがラの音をだし、それをコンサートマスターがヴァイオリンで受けて、その音に全員が合わせる様子はよく知られたものです。その時の音はラです。
ペンタトニックには広大な宇宙観が背景にあると思っています。ラの音とは何かというと太陽の音です。ギターやリュートが共鳴箱に穴が開いているのは、太陽を象徴しているのです。太陽から音楽が生み出されたと感じていたのかもしれません。ゲーテのファウストの冒頭で大天使ガブリエルラのプロローグは有名です。太陽は同胞を引き連れ懐かしい心に響く音を奏でする(仲訳)。
太陽の音ラから五度上がるとミになります。そこからさらに五度上がるとシになります。今度はラから五度下がります。レになります。そこからさらに五度下がるとソになります。これを私たちが親しんでいるオクターブの中にまとめるとレ・ミ・ソ・ラ・シと五つの音になります。日本ではヨナ抜きという言い方がされています。ペンタとはそもそも「五」を意味しています。五度の五とオクターブが五音からなるの二つの意味があるのです。音と数学が結びついた純粋な五度の音程です。ペンタトニックは純正で調律できるため、響きは透明感があります。
ペンタトニックの大きな特徴は「いつ終わってもいい」ということに尽きます。というより「終わりがない」と言った方がいいかもしれません。私たちがよく耳にするドレミファソラシドからできている歌には終わりがあります。このドレミファソラシドのことをディアトニック(七音からなる音階)といいます。私たちが聞くほとんどの歌には終わりがああることに注目してください。それはディアトニックで作られているからです。終わりのないペンタトニックと終わりのあるディアトニック、この違いは何処から来るのかと問わなければならないようです。
ペンタトニックからディアトニックへという流れには、今見たように小さい子どもから成長してゆく姿が並行しています。ペンタトニックは時間の中を気ままに思いのまま無制限に動きます。時間の海を泳いでいるようです。いつ終わってもいいのです。小さなこどもが遊んでいる姿そのものです。まだ時間の概念のない中を生きている子どもたちです。遊んでいる小さな子どもに、お出かけするのであと15分だけ遊んでお片付けをしてと言っても、子どもの遊びには終わりなどないですから、お母さんが割り込んでお片付けをすることでしか終わらせることができないのです。
歴史的にも三千年くらい前はディアトニックからなる歌は存在していないと思います。当時はペンタトニックしか知らなかったのです。古い時代には今日の器楽曲のようなものはなく、全ては歌でしたから、詩に合わせて歌っているので詩が終わる時が歌の終わりでした。もしかするとメロディーよりも詩のリズムが音楽を支配していたようです。今日でも屁草メーター、アナペストといった名前は残されていますが、当時はリズムが主力だったようです。終わりのあるディアトニックが誕生するのは、古代ギリシャが自然哲学からソクラテス、プラトン、アリストテレスといった論理的な思考による哲学が生まれたことと関係しているのではないかと私は見ています。ここで韻律、つまりリズム中心からメロディーへと音楽が変化してゆきます。それと同時に文章というものが生まれます。散文の世界が始まるのです。理屈っぽくなってゆくのです。
メロディーが中心になり、散文で文章を綴りはじめ、ディアトニックになってからメロディーに終わるという必然性が生まれたのです。理屈に合っているというのか合理的というのか、辻褄が合うようになったのです。どうして終わりがあるとわかるのかと論議するより一度聞いてみればすぐわかることです。これで終わりますと言える場所がはっきりしたのです。ペンタトニックにはそれが欠けているので、終わらないのです、終われないのです。ではいつ終わるのかというと歌詞が終わる時です。音楽的には終わっていないのですが、歌う歌詞がないので終わってしまいます。お母さんにちいさな子どもが遊びを止められるようなものです。
この先続けると長くなるので今日はここまでにしておきます。