ブラームスはお好き
ブラームスのピアノ曲で、作品117の三つの間奏曲の第一番の最初の部分を、久しぶりにライアーで弾いてみました。ピアノ曲の中でも相当ゆっくりしたテンポで、ほとんどの人がゆったりとおおらかに弾いています。
それをライアーで弾いたらどうなるのかというと、想像通りさらにゆっくりになります。これ以上ゆっくり弾いたら音楽でなくなってしまうくらいのゆっくりさです。ゆっくり弾くというのは簡単そうですが実は適当なテンポの曲の方がずっと演奏には楽なのです。
ここまでゆっくりになると音を出す瞬間は途轍もない緊張の連続と化してしまいます。ゆっくりな上に音量的にはピアノもしくはピアニッシモですから限りなく静かに弾きます。そうすると緊張はさらに高揚します。なんとか流れが生まれた頃にこの緊張が快くなっていました。
ライアーはピアノのようにたくさんの音をいっぺんに弾けないので、ピアノの楽譜と睨めっこをしながら今回もどんどん音を省いてゆきました。不思議なのは、省けば省くほどライアー的に良くなってゆくのです。ライアーは一音が美しいと再発見でした。
この曲は既に「光のなみだ」に録音しているのですが、しばらく触れることがなくいたら少し違ったイメージが生まれたような気がして、そのイメージに従って編曲し直して、調性も弾きやすく直して、ゆっくりから生まれる緊張を満喫できるようにしました。
私とブラームスとの相性ということでいうと、あまり良くない方だと思います。教養として主だったものは色々と聞いてきました。今回も、編曲している時、演奏している時に曲の流れなどに関して、「なぜこうなるの」と首を傾げていました。
弾きやすいものばかりではなく、時には自分向きではないものにも向き合ってみたくなったというのが正直なとこ露です。当時編曲して録音に踏み切ったのも同じような動機だったように記憶していますが、あれから何年も経って、またブラームスはどうかなと、ふと思って再度挑戦した次第です。ライアーの演奏会がいつの日かあれば是非お披露したい曲の一つです。