如月の望月
日本の月にはそれぞれ名前がついていて、それだけでも数字だけよりも自然に人格を感じて親みを感じます。西洋も元々は名前があったのですから、人間は自然をただ自分達の目的を満たしてくれるものとは見ていなかったようです。ちなみに日本の一年は、睦月、如月、弥生、卯月、弥生、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走となります。こうした字面を見ているだけで自然が今まで以上に近いものに感じるから不思議です。ものには名前があるということは深い意味があるのだと思います。現代はなんでも数字に置き換えられていますから、人間の存在への敬意が薄れているのかもしれません。。
「如月の望月」は西行法師の辞世の歌で読まれた題材でした。
願わくば花の下にて春しなむ
その如月の望月のころ(山家集)
中秋の名月とは違った凛とした名月が冬の寒さの中で輝いています。
残念ながらドイツはここ数日雨と雪で「雨降りおつきさん」となっていて、西行を追体験できませんでした。
でも気がついたらここのところずっとライアーを弾いていました。満月のライアーは特別だと信じ込んでいますから、期せずして満月に呼ばれたようにライアーを手にしていたのかもしれません。
ここ数日弾いていたのは自分でライアー用に編曲したブラームスの間奏曲でした。今回はブラームスの音が繊細に動くので、ライアーでは指が弦になるたけ触れないで弾けるように、ハ長調で弾くことにしました。原調は変ホ長調です。ブラームスさんごめんなさい。弾いているとやはりピアノのために作られたものだと感じるのですが、ライアーでもなんとか聞けるようになっていると自己満足しています。
でもブラームスってどこかで考えすぎって感じがします。そんなに思い詰めなくてもいいのにと、気の毒になってしまうようなところもあります。しかし今までにない味があるものになっているので楽しめました。
いつか皆さんに、満月に合わせて聞いていただける時があるといいのですが。