自分に退屈する

2025年2月19日

早春の倦怠感というのをよく耳にします。なんとなくだるいという感じのようです。
ドイツは今日はまだ朝方は氷点下三度まで下がる冬型ですが、二、三日すると暖かくなって十五度くらいになると予報が出ています。なんだが春ボケしそうな予感がします。

気圧の変化なのか、気温の変化なのかわかりませんが、体がついてゆかないという感じが否めません。そんな中で自分が何をしたいのかがわからなくなってしまうことがあります。本を読んでいてもうとうとと寝てしまったりします。周囲の変化のせいにしてはいけないとは分かっていても、自分に退屈しているなんて思いたくないので、原因を他に押し付けてしまいます。

よく考えると自分に退屈するって言い方が面白いです。やろうとしてもできないもので、本を読みながら寝ている時などは知らず知らずに案外自分に退屈しているのかもしれません。なんとかできているようです。
いつも自分に向かって気合を入れて張り切っているばかりでは疲れてしまいます。時には自分から解放されたいと思うのですが、自分というのはしつこくつきまとっているもので、これから解放できるものではないようです。
自分に退屈する時ってどういうものか。やはりよく分かっていないようです。自分をほったらかしにしているという感じなのかもしれません。案外苦手なのかもしれません。

自分を何かのためにこき使うのではなく、難しそうと言って自分に呆れていてもいいのです。自分に呆れるなんて見捨てられたようでなかなか優雅なものです。
しかし何もしないでいるというのも、案外難しいもので、ダラダラしていればいいのかというとそうでもなく、そんな時には呵責というのか罪の意識のようなものにつきまとわれてしまい、何かをしなければいけないような気持ちになってしまうものです。修行が足りないといわれてしまいそうです。

自分に退屈する、聞こえは面白そうですが、自分はダメだと自分に呆れるのでもなく、ただ退屈しているのですから、本当に修行の賜物かもしれません。。

もしかしたら猫のように日向ぼっこをしていればいいのかもしれません。

 

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