何を書いたらいいのか

2025年2月19日

四方山話である。

何か書きたいとまたコンピューターのキーボードに指を乗せようとしている。実は何も思いつかないのだ。外は一昨日の雪が残って今日もしっかりと寒い。今朝は素晴らしい日の出だった。陽が登る前の赤みを帯びた空のなかに、温かみのあるまん丸の真っ赤だった。登ってくる太陽が心に焼き付いていたので、その時の色鮮やかな風景を書いてもいいと思うのだが、しばらく書いていると、つまらないからやめろ、と誰かだか、何かだかが言ってくる。いつもそうで、やめろで終わってしまう。つまらなくてもいいから続けろとは聞いたことがない。書いているときは面白いとかつまらないとか頭の中にはない。書くためのエネルギーが体の中を駆け巡り指にたどり着く。評価されなくても全く構わない。何かが書きたい。そうだよく古い汽車のことが書きたいと時々思う。私はそういう汽車に乗ったことがないからだろう。蒸気機関車という豪華なものはもちろんなかった。父は貧しく汽車に乗せて旅に連れて行ってくれなかった。汽車の旅行は憧れていた。汽車での旅は夢だった。

ある日福島から会津若松に向かう電車に乗った。終着駅は新潟。四時間半以上かかる長旅になる。新幹線で行けば三時間ほど。大人になってからのことで、自分で切符を買った。行き先を窓口で言って、お金を払って、お釣りをもらって改札に向かった。夢がはち切れんばかりで、プラットホームを歩く足取りは急足だった。座席につくと間も無く電車は出発した。どんどん都会を離れて山の方に向かった。ゴトゴトと音を立てて走った。会津若松を過ぎて気がつくとどんどん山の中に向かっていた。乗っている人は一駅ごとに少なくなって、ある時から私と年配の女性だけになっていた。空っぽな車両には別の味わいがあった。孤独な感じはしなかった。渓谷を抜ける時、窓から飛び込んでくる風景に度肝を抜かした。秋が美しかった。目を大きく目を開けて移ろう色づいた景色を貪っていた。渓流を走っているときは川に滑り落ちそうだった。僅かの距離しか川から離れていない線路が夢を遠くまで運んでいた。こんな手付かずの深い自然があって、そこを電車がゴトンゴトンと私を乗せて走っている。寂しかった車両に変化が起こった。停車する駅ごとに人の数が増えてゆく。乗ってくる人たちは驚くことに降りていった人たちと言葉も違うし顔も違う。着ている服も違う気がした。ずっと同じ車両なのに何もかもが変わってしまった。魔法にかかったようだった。外の景色は、自然からだんだん山らしさがなくなって、木の数も減っていた。窓の景色は集落の屋根の風景に変わり、家の数がどんどん増えていった。制服姿の六七人の少年たちと同じ数の少女たちが乗って来ると。車両は若い熱気がこもる。終点が近づく頃には太陽も随分傾いて、夕焼けの色鮮やかな空が輝いている。今日の目的地である。私の電車は一目散にここに向かってきたのだ。新潟という車内のアナウンスが聞こえてドアが開くと、一斉に乗客たちは外に出ていった。電車の旅は終わった。トボトボと人混みに混じって駅構内を歩き改札に向かった。改札で車掌さんに切符を渡すと、車掌さんが透明な風船ともシャボン玉ともつかないものをくれた。よく見るとその中に今まで見てきたもののが綺麗にみんな収まっていた。

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