ライアー音楽
ライアーを弾くたびに、ライアーが自分からやりたい音楽はどう言うものだろうと考えます。今の時点では西洋の中世からルネッサンス、バロック、古典、ロマン派の音楽の中から、ライアーで弾きやすいものを編曲して弾いています。それはそれでなかなかいいもので、オリジナルとは少し趣が変わりますがライアーのゆったりした響きの中で蘇るのは醍醐味でもあります。
極力技巧的にライアーに向かうことがないように心がけているので簡単な楽曲を選んでいます。テンポは、ライアーの必然からして早く弾くと息詰ってしまうのでゆっくり目が相性がいいと思っています。和音はピアノのようには処理できません。今の音楽世界で使われている楽器と比べると不自由な楽器と言えるものです。しかし不自由には不自由のもつ良さがあると居直って弾いています。
弦の貼り方からすると、ピアノでペダルを踏んだ時のように全ての弦が響きます。弾いた音がいつまでも鳴っています。しかもピアノのように消音する装置を持っていないので、弾いた音がいつまでも残っているので、曲によっては邪魔になることがあるのです。その時はいちいち手で消音するのですが、消音にこだわっていると、演奏が疎かになってしまいます。それにその動作は目障りでもありるので、よほどのことがない限り放っておきます。
弾いていて感じることは、この楽器では今日の音楽ファンの期待通りに音楽的に弾くことはできないと言うことです。音楽だから音楽的に弾くのは当たり前なのですが、どうもその辺りがこの楽器の持つ特徴のようで、音楽的でない方がこの楽器としては持ち味を発揮するようなのです。音楽的でない音楽なんて矛盾ですが、実際にこの楽器を弾いてみると納得していただけると思います。
この楽器は抱えて膝の上に置いて弾くのですが、この楽器を机の上などに置いて、横にして楽器に貼られた何本もの弦を指で滑らすようにすると、波打つような響きが生まれます。このワクワクするような響きを聞いただけで、この楽器が欲しくなる人がいます。その姿を見ていて、日本人の琴線に触れるとは、指がただ無心に弦に触れて響かされているところのような気がしてくるのです。その無邪気さのようなものが琴線に触れるというものではないかと思いのです。
楽曲を聴くのではなく、弦が自然のまま響いている状態が、この楽器にはふさわしいのかもしれません。
ただ欲深いので、それだけでは物足りなくなることもあります。そんな時、その先に何があるのかを知りたくなるのです。音楽であり音楽でないものの中間にある何かを、いつかライアーで聞けたらと願っています。