政治は渦。嘘どころではない騙しの世界。偽善者たち。

2025年3月7日

嘘と本当が混じり合っている世界を生きているのだとつぐつく思うのです。だから嘘もまんざら悪くないと思える。嘘も方便である。法華経という仏典にも方便品がある。嘘には色々な種類があるので、嘘の種類によっては本当が磨かれているのかもしれないと思ってしまうほどだ。

ところが騙すというのは違う。嘘の限界を超えているからだ。人を騙すことは悪質なものである。事実を曲げで騙すことはもっと悪質である。そうした騙すことが悪に属すのは、騙すことで自分の利益だけを考えているからだ。嘘が嘘で終わってしまって跡形もなく消えてしまえば嘘は嘘だが無害である。だが騙すことで利害が加わると善悪の世界に踏み込む。駆け引きが始まり、自分が得をするコツを覚えてしまうと大変である。味を覚えたら最後もう足が洗えなくなってしまう。ここで人間は人相が変わってしまう。政治の世界によくみるものだが、政治を本当を貫きやっている人もいるので、政治が騙し合いの場だとは言えないが、それは本当が世の中に稀にしかないように珍しいことだ。そういう政治家がいると知ると生きていることを賛美したくなる。

騙すことで儲かるのだと味を占めてしまうと人間の欲はもっともっとなので、ますます騙すことが喜びとなって騙しの悦に浸ってしまう。もう人相と言えるものではなくなっている。善悪の感覚が麻痺してしまって、ただ貪欲の道を直走り(ひたはしり)する人は、騙すことに良心の呵責すらも感じなくなっているので顔は引き攣っている。人相は仮面に代わっている。彼らは仮面の奥でほくそ笑んでいる。偽善である。

本当だけでできている世界、そういう世界があるのかもしれないが、私の想像力ではたどり着けない話である。天国というのがそんなものだと書いてある本を読んだこともあるが、今はまだ信じきれない。天国の扉を開けたら光一元の世界が広がっているらしい。そこには影すらないのだと言う。そこが自我とか人格とか言っている人生とは違った次元の話だとすれば、そんな世界もあるのかもしれない。

 

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