王子と乞食。金持ちと貧乏人
王子と乞食という話しを子どもの頃にワクワクして読んだ記憶があります。立場を変えては見たものの、結末は、やはり育った環境が一番いいというもののようでした。都会のネズミと田舎の鼠と言う話しもよく似たもので、子ども心には何か夢があるようで印象深いものでした。
いい時代だったのかもしれません。
現代社会では貧富の差はますます広がっていると言うのが経済学者の得意な話です。世界が分断されてしまっていると言うのです。これは現実に起こっている深刻なことです。
貧富の差はあっても、それが極端でない限りはあってもいいものなのですが、お金があるところには使いきれないほどがザクザクとあり、ないところには食べるのもままならない貧困状態ですから、緩和できるものなら是非していただきたいと願うところです。
人間同士の間には差があるものです。背が高い人もいれば低い人もいます。太っている人もいれば痩せている人もいます。足の速い人遅い人、山登り得意な人苦手な人、高いところが好きな人苦手な人。差があっていいものなのです。高校の時に一番背の高い185センチの奴が、頭ひとつほど違う一番背の低い158センチの奴といつもいつしょにいたのです。すごくバランスの取れた姿でした。
その違いを集めて統計的に整理して平均値というものを出す人がいます。学校のテストの時に、今回の平均点は何点でしたということが報告されていたように記憶します。平均値というのがなんの意味があるのかがよくわかりませんでしたが、平均点より上だったと喜んでいる生徒もいました。何を喜んでいたのでしょう。
誰一人として同じ人がいないわけです。しかも平均値と重なる人などもいないのですから、平均値というものが何を整理したものなのかと首を傾げてしまいます。それを必要とする平均、ないしは平等という思考方法に問題があるのかもしれません。
戦争の犠牲者である避難民も同じように無くすべきものです。難民を作っている戦争をなくすべきなのですが、戦争で豊かになる人もいるというところに問題があります。その人たちの都合で社会が動かされているからで、豊かな人たちがもっと豊かになりたい社会だということのようです。戦争はそのための手段ですから、戦争は終わらないでほしいと願っている人たちなのです。
今の社会から王子と乞食と言う話しが生まれたらどのように描写されるのでしょう。現代版の王子と乞食です。ビル・ゲイジさんやイーロン・マスクさんがホームレスになって街の片隅に座っているというのは考えにくいです。なぜでしょう。
現代は嫌な時代なのでしょうか。