単純な日常生活からの逃避

2025年3月20日

日常生活については今までも何度か述べています。ですから重複するものがあることは承知して読んでください。

日常生活というのは見方によれば変わり映えのない退屈なものです。これが一番一般的な見方です。そして一番危険なところは、マンネリ化です。同じことの繰り返しに思えてしまうのです。退屈で腐ってしまいそうです。

ところが私たちはこの日常生活と真剣に向き合ったことってあるのでしょうか。私はないと想像します。ですから時々は気分転換に何か特別なことをしないと体がもたないと考えたりするのです。そのために色々なイヴェントに出かけたりして外から刺激をもらおうとするのです。旅行するのもマンネリ化予防なのかもしれません。旅行人口は二億人を超えているといいます。現代は旅行の時代です。知らない土地に行って、非日常的な空間の中に身を置くことで、また日常に帰って行けるのです。

退屈なんて何の価値もないものだと、とてもネガティブなものと考えられていると思います。退屈している時、ぼんやりしてやることがない時というのはボートしているので確かに何もしていないわけですが、最近の脳の研究によるとその時一番脳は働いているというのです。却って何か意味のあることを、たとえば社会的に、人類的に、環境のために、人種差別反対と頑張っている時、脳みそは働いていないのです。

確かに人のために役立つことをしているのですが、それというのは社会的によく見られたいというのがあっての行為なのではないかと思うのです。しかしそれこそが却ってマンネリ化してしまった社会のための慈善行為なのではないかと思うのです。

もっと意味のないことをしないと脳は働きません。毎日の生活の合間にボーッとしている時間を作らないと、頭はどんどんバカになってしまいます。何もしていないような時間、頭の中をいくつも思いが去来します。特に力を抜いてしっかりボーッとしている時。何にもやることが見つからないでいる時です。何かをしなくちゃという気持ちを払拭しないとこの境地には入れないのです。

そんな時枠を外した生の自分を感じることがあります。貴重な体験です。ですから私は貴重な時間だと思っています。ただこれが自分だとか、自分にこうなってほしいなんて力の入った思いを混ぜてしまっては台無しです。

さて日常生活ですが、何にもないようなのですが、ただ日常生活をしている間でも本当にたくさんのやることがあるのです。しかも日常生活は評価というものから外されています。それも子どもを産んで産休が終わるか終わらないかで社会復帰を考えるお母さんが最近は増えています。ただ毎日生活に追われているだけでは、誰も評価してくれないので、会社に行って人と交わって忙しくしている時の方が気がまぐれていいという人が増えています。日常生活の大変さを逃れた方が楽であり評価があるのです。

日常生活というのは不思議なほど地に足のついたものです。最近はネットの普及によって、情報な広がり情報の海の中を泳いでいるのです。情報は知識としてみればたくさん持っているに越したことがないのですが、情報というのは人の考えで、地に足のついていない、バーチャルな世界ですから。地に足のついていない、お化けのような中を彷徨っているのです。

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