弦の鳴らし方。リヒテルが弾く時の弦の響き。
ライアーの弦と同じような弦の張り方がされているのはピアノ属の楽器とハープです。しかしピアノは弦を叩きますし、ハープは弦と共鳴箱の在り方が違います。一番近いのはチェンバロなのでしょうが、弦を弾く爪はライアーにはありません。ライアーにはライアー独自の弦の弾き方があるのだと考えています。
ライアーの講習会などで、人様のライアーを弾くことが多々あります。その度に感じることは、弦が全部響いていないということです。演奏する際に弦が指先ではじかれているだけだと、弦は指が触れた周辺しか響いていないようで、それを繰り返していると弦に癖が着いてしまいます。それでは弦の響きがとてもか細く小さいので、つまびかれた弦のひびきは木の方に少ししか伝わらないということになってしまいます。そういう音を木の方がいつも受け取ることになり、その程度の響きの楽器になってしまいます。人様のライアーを手にして、弾いてみると、大抵このことが気になります。しかも弦がたっぷり振動していないので、弦は萎縮して固まっています。マッサージが必要だと思ってしまいます。
私が初めてドイツでロシアのピアニスト、リヒテルの演奏を聞いた時に想像もしないことを体験しました。今まで聞いたことのないピアノの音に驚いたのです。ショパンの華麗なるボロネーズを弾き始めた時に、彼が叩いた鍵盤からハンマーを伝わってひびき始めたピアノの弦は、隅々まで鳴ったのです。力づくで弾いているのではないのですが、彼が弾くときピアノの弦は隅々まで響いていたのです。それは聞こえるというよりほとんど見えるような印象でした。背筋がゾッとして、鳥肌が立つような感じの瞬間でした。
リヒテルは二十世紀を代表するピアニストです。1915年にウクライナで生まれたロシア人の代表的なピアニストです。当時多くの音楽家たちがロシアから西側に亡命して音楽活動をしていたのですが、彼は祖国に残り演奏活動をしていました。噂だけは西側にも伝わっていてので、長いこと幻のピアニストとして知られていただけでした。彼が祖国に残った理由を聞かれると、「人間には精神的な根っこが必要だから」と答えていました。彼の演奏はまさに根っこのある演奏というにふさわしい確固としたものでした。
その彼が弾くとき弦は余す所なく全てを響かせていたのです。ライアーという同族の弦楽器を弾くものとして、その時の強烈な体験から多大な影響を受けました。演奏会から帰った次の日から、まず自分で弾く時「弦は全部なっているかどうか」を確かめたのです。鳴っているような鳴っていないようなと長いこと半信半疑でしたから、時々弾き方を変えてみたりしたのですが、決定的な結論にはなかなか至りません。色々と工夫をして、弾き方を大胆に変えた時です、初めて「これだ」と確信が持てたのです。それ以来その弾き方で弾くようにしたのですが、とは言ってもこれがなかなか思うように行かないもので、一弦だけ弾く時にはできるのですが、それで曲を弾くというところまで行かないのです。
私は若い頃にスポーツで指を鍛えていたので、指の力はあるので一つの音だけだといい弦の響きが生まれるのですが、それを連続できないのです。その時にわかったのは、ライアーで弦をたっぷり鳴らすためにはピアノのようにメカニズムが整備つれた楽器とは違い、時間がかかっていいのだということでした。ライアーは絶対速度が遅い楽器なのだということなのです。速度を付けて上手に弾いても、聴き映えはするのですが弦は響いていないので、ライアー本来の音とは違うものになってしまいます。
このようにライアーを弾くようになってからはライアーを弾く楽しみが大きく変わりました。ゆっくりでいいのだ、たっぷりが本領なのだと言い聞かせなが弾いています。
迷った時には、あの時聞いたリヒテルの音を思い出しては、これでいいのだと励ましています。リヒテルが弾き始めた時の最初の音の豊かな響きはまさに晴天の霹靂でした。