ライアーとシューベルト その三
歌のメロディーが繊細なものだと発見しています。
もっと言えば、歌の中に繊細以上のものを感じています。
器楽曲の綺麗なメロディーも捨てがたいとはいえ、歌のメロディーには祈りに似た深みを感じます。
日本で久しぶりにお能の世界に触れました。
そこに辿り着くまでがとても不思議な糸で結ばれていたので、深い縁を感じてお能の会に出向くことにしたのです。すこし長くなりますがそこをすこし書かせてください。
京田辺のシュタイナー学校で、偶然に、二十年前東京シュタイナー学校が三鷹、井の頭のあったころに大変お世話になったか、現在はレインボースリーブズのオーナーであられる瀧川さんにお目に掛り、お茶をしました。
そこで東京での再会を約束した時に、東京シュタイナー学校のたち上げに大きな力になっていた、第一期生の親御さんである斎藤ご夫妻が三軒茶屋でレストランを経営していることを伺い、そこでお食事をしようということになりました。斎藤ご夫妻は、今俳優として活躍をしている斎藤工君の御両親です。そこで食事をしていると、これもまた不思議で、当時英語の先生をされていた近藤先生が現れ、帰り際にお能の会のパンフレットをくださいました。
近藤先生は当時も能管、龍笛をされていましたから、今でもお能にご縁があるのだと思いながらパンフレットに目を通していると、そこにドイツで鼓のワークショップをされた折りに通訳でお近づきを持った大倉さん、日本で友人の岡田さんに連れられて何度が同席をした小鼓の古賀さんの名前がありました。
これだけのつながりがあるのならやはり出向かなければとお能の会に出向いた訳です。当日は岡田さんと一緒に千駄ヶ谷の国立能楽堂に出かけました。
前置きが長くなりました。
謡を聞いたのは久しぶりでした。突然私の前に現れた謡に初めは懐かしさはあったものの、すこし動揺していました。
歌と言うには余りに言葉そのものの感じですし、言葉と言うにはメロディーを強調していたからです。
聞きながらグレゴリオ聖歌のことも頭によぎりました。ギリシャ音楽と西洋音楽の間にある、歴史的な流れでいえばビザンチン音楽と言っていい、言葉がそのまま音楽になっている歌のことをです。
今日的には音楽と言うことになるのでしょうが、この音楽は宗教的な儀式のためのものですから、本来は祈りです。
お能の謡には、グレゴリオ聖歌の祈りに通じるものがあるのだ、と謡を聞きながら(実はうとうとしながら)ふと気がついてしばらく聞いていました。
お能という芸能は、実は舞台に登場した人物たちを最後は祈りあげ、成仏するための儀式です。当然謡もそのためのものということになると、グレゴリオ聖歌と同じ祈りを歌いあげていることになります。
能舞台の後ろに控える四人の楽師たちは、太鼓、大鼓、小鼓、笛と楽器を奏でるのですが、楽器演奏と同じくらいあの手の様な声が大きな役を演じています。あんなに威勢のいい声で伴奏する音楽は世界に珍しいのではないでしょうか。楽師たちの出す声と、謡の声とは、不思議と、消しあうことなく絡み合っていました。この絡み合いから生まれる空間がとても魅力的でした。そしてシテの動きが加わります。舞いです。舞いもそもそもは神事であったものです。神にささげられたものです。
ということで、お能と言う舞台芸術以上の、祈りの儀式を堪能しました。
今私はシューベルトの歌曲をライアーで弾くべく、いろいろな角度から挑戦しています。
そこで歌のメロディーを弾く楽しさと同時に怖さも感じています。
シューベルトの歌曲、歌には、私がドイツの歌い手の中で最も尊敬しているレオ・スレーザークがいみじくも自伝の中で書いていたように、神聖なものがあります。スレーザークは、シューベルトの歌を歌うことは、ミサをあげる様なものだと言い、祈る様に歌っています。
シューベルトの歌に出会い、今ライアーで弾くことを決め、そしてこの歌の中にある神聖な祈りに導かれながら、毎日を過ごしています。とても充実した日々です。
録音の日までライアーの祈る音を探して参ります。
四人の楽師の音楽に引き込まれました。