ライアーとシューベルト その五
2013年3月25日
ライアーの音が聞こえている。これだけで人を幸せにできたら大したものだ。
笛の音が遠くで聞こえている。それを黙って聞いている。そこには笛の存在感がある。そして笛の存在感から何かが伝わってくる。
その存在感は、笛その物の中にもあるのだろうが、伝統の中にもある。
人々は心の中で笛の音を知っていて、そこから笛の音に期待するものがある。笛を聞いているとその期待感に答えているものが満たされてくる。そう言える部分がある。
ところが、ライアーの音はまだそこまできていない。ライアーの伝統が無い。全然ない。
まだまだ薄っぺらな認知度だ。
「綺麗な音ですね」辺りで満足しているうちはすぐに忘れられてしまう。それではまだ素人の遊びごとにもなっていない。
どこからライアーの伝統が始まるのだろうか。
「珍しい楽器ですね」と言われているうちも、本当は人の心を打っているわけではない。興味本位の対象だろう。
舶来品ですね、なんてからかわれてしまう。
ライアー弾きたちは、いつの日かライアーと真剣勝負をしなければならないのではないか。
ライアーの真剣勝負、これはどう言うものなのだろうか。
上手い下手の勝負事ではない。
勝ち負けではない真剣勝負というものがあると信じている。
私も是非それに参加したい。