ライアーとシューベルト その六
2013年3月26日
ライアーをもう一度天国に返してみよう。
百年近く地上で働いたライアーを、その成果を天国に持って行こう。
ミューズの神様は何と言うだろうか。
「よくやった」と言ってくれるだろうか。
それとも「今まで何をやって来た」と怒鳴り返すだろうか。
私はあまりほめていただけない様な気がしている。
ミューズ様は優しい方だから、力不足で、まだ充分に活躍できなかったことは認めながらも、
「エゴの垢を落としてから出直して来い」
と言われるかもしれない。
「音楽の未来にあまり貢献していないではないか」
と言われるかもしれない。
ライアーは生まれてから今まで、成長をしたと思われるかもしれないが、私は逆に思うこともある。退化したのかもしれないと。
それは進歩というのは、必ずシンプルな方向を必ず持っている。
ライアーはどんどん大きくなって複雑になって弦の数もどんどん増えているのではないのだろうか。
それは決していい方向ではない。
シンプルという発展がみられないのは致命的ではないか、そう思っている。
シンプルは簡単になる、粗末になるということではない。
凝縮であり、精神化である。それは透明に近づく道である。
ライアーはこんなこともできるという流れでは、これからはライアー肥大症候群という方向が待っている様な気がする。
私自身そういう方向を歩みそうな危険を感じている。
それで今度は超シンプルなシューベルトの歌を録音したい。
シューベルトには徹底したシンプルな美がある。
美しいと感じる時、そこに真実が生まれる兆しを感じる。
美しいと感じる時、そこには勇気も生まれる。
今思いっきり美しいものに出会いたい。