シンプル賛

2013年3月28日

シンプルが貴重なことだということは多くの人が知っている様です。

しかしシンプルがなににいいのか、何故いいのかという辺りは随分素通りされているのでは。

シンプルであることは解りやすい。とにかく解りやすい。これは相当大事なことだと思います。

頭の悪い人間程物事が複雑になります。説明がだらだらしてきて、難しく複雑にすることが高級なことだと信じている節があるのでしょうか。

物事をシンプルにするためには相当の力がいるということもよく知られています。

どう言う力かと言うと、本質を穿つ力と言っていいかもしれません。

 

シンプルなものを探してみようと思います。

いろいろなところを探してみたいのですが、今はとりあえず日常生活の辺りを探ってみましょう。

日常使う食器はシンプルだと思うのです。

しかしレストランなどで食事をすると、フォーク、ナイフが沢山並んで、グラスも幾つか目の前に出て来ます。

しかし日常の食器は全く違っていてシンプルです。毎日の生活が、人間が生きているという現実がシンプルの道を成功させたと見ていい様です。

 

もう少し言葉を加えたいのですが、くだくだした説明になりそうだから止めておきます。

私がまだシンプルの域に達していないからでしょう。解っています。

 

シンプルの反対は複雑で、頭できりきりと考えている所からのものは複雑の道をどうしても選んでしまうようです。

複雑なのは一見見栄えは良いのですが、案外中身が無いものが多い様です。物事を難しく言っている人の話しほど中身が薄いというのはみんな経験していることだと思う。

 

音楽でも同じ。名演奏はいつもきまってシンプルだです

俳句はシンプルの極めつけと言えますが、下手な俳句はごちゃごちゃうるさいものです。

俳句もこんなにうるさくなるのかと思うものだって随分あります。

 

シンプルというのは視覚的だと思っています。

絵を書くというのはシンプルのとてもいいところを知っている方法です。

どこかに行って、写真を撮って帰って来るのと、どこかに腰をおろして一枚の絵を書いて帰って来るのでは何かが違います。写真は何百枚と撮って来ているから、行ったところを全部映して来ていると思いがちですが旅行の思いでが豊かかと言うと、そんなことはないのです。一枚の絵の方にずっと深い思い出がこめられていることもあります。そしてその一枚の絵が、何千という思いで紡ぎたすことだってあるのです。

 

シンプルは量より質のことです。

 

昔は有名な演奏家のライブは一生のうちに一回しか聞けなかったものです。今は録音されて何度でも飽きるほど聞けるという利点があります。回数でいえば録音で聞いた人の方が多く聞いていることになるのですが、印象の深さという点からは、一回聞いた人の方が深いのではないか、そんな気がするのです。

 

私は長いことそのことがあって録音を躊躇したのです。しかし今は、録音でしか聞けない人がいることを重視しているので、思いっきり録音をたのしんでいます。もちろん録音のために最高の設備を用意しています。

 

さてシンプルのことを書き始めて、随分ごちゃごちゃしてきました。

シンプルはプロセスが大事です。

政治的な権力で無理やりシンプルに似た単一化になると、人間の心は死んでしまいます。

シンプルに向かって精進している時は逆で、人間の心は一番いきいきとしている様です。違いますか。

これは職人さんに聞いてみるといいですよ。

シンプルには精神的な世界からのメッセージが宿っているからでしょう。

シンプルは極めて精神的なのです。

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