イスタンブールの誕生日

2011年5月12日

イスタンブールに行きました。

イスタンブールは今はトルコ共和国の首都、イスラム圏ですが、かつてはコンスタンチノープルと呼ばれ東ローマ帝国の首都でした。キリスト教の国でした。

西暦三百三十年年五月十一日にコンスタチヌス帝がそれまでその地を支配していたビザンチン帝国に勝ち首都に制定します。

誕生日が同じということと、西と東の交流する所と言うことで、還暦をだしに家族を巻きこんで旅行しました。

トルコの人にトルコで出会いたいということも心のどこかにありました。

この土地の歴史的背景よりも、未来はどこにあるのかにも興味がありました。

イスラム教という宗教はどういうものなのかにも興味がありました。

 

旅立ちの前、本を幾つか読みました。イスタンブールが舞台になっている映画も見ました。

情報的なものは所詮他人ごとなのでしょう。

しっくりしませんでした。

実際にその土地に立ってそこの光をあび空気を吸って、それで初めて共有できるものが生まれました。

私が知っている国は日本とドイツです。

そのお国柄なのでしょう、よく整理されています。

トルコ、イスタンブールは、全くその気がないかのように、整理整頓、オーガニゼーションとは無縁のようでした。

時間に関してだけはラテン系の人とは違って、意外なほど守られていました。

これをアジアと呼ぶのか、混沌の中の創造力なのか。

タクシーに乗って、運転手のハンドルさばきには目からうろこの連続でした。

三車線に五台の車が並ぶ中を縫うように通り過ぎます。

横揺れも結構激しいものでした。

 

イスタンブールでは、イスタンブールに詳しい子どもの友人たちの勧めもあって、アジアサイドに宿をとりました。

正解でした。

静で落ち着いていて、その上値段は半分で三倍くらいの広い部屋でした。

そして毎日三十分ほど船に揺られてイスタンブールの町の中心に向かいました。

船から望むイスタンブールの丘は絶景です。

朝のすがすがしい空気の中、イスタンブールの街を望むと、ワクワクとした、ありがたい思いが心の中に湧いてきます。

夕方、夕日が沈むころ、夜の八時をまわっていますが、夕日の中に浮かぶイスタンブールは絵に描いたようなと言う形容がぴったりでした。

イスタンブールは三方が水に囲まれています。

黒海と地中海をっ泣いているのはボスファラスと言う海峡です。

ここを境にヨーロッパサイドととアジアサイドに分かれます。

しかしこの海峡は水の動きを読むのが難しい難所で、事故が多く、今回は見送りました。

左右に並ぶカフェー、レストランには一度は船が飛びこんだ経歴があるそうです。

イスタンブールに向かう船の中でトルココーヒーを飲むのが私の儀式でした。

三回飲んだのですが、三回とも違う値段を言われました。

 

寺院巡り。これはこの街に欠かせないものです。

ビザンチンのモザイク文化はその後のイスラム化によって多くが失われてしましましたが、インパクトのあるものでした。

支配者が変わるということは一夜にして宗教が変わるということです。

ビザンチンの建物は三日のうちにイスラム寺院に塗り替えられて新しい宗教の儀式の場所に変わります。

庶民はそれに従するしかないのです。

宗教の話しではないですが、昔読んだドーテの月曜物語の中の「最後の授業」の話しを思いだしていました。

「明日から日本語ではなく中国語になります」と言われたらどんなに大変なことかなんて想像してしまいました。

イスラム寺院では儀式の時間が来て、観光客は締め出されてしまいました。

しかし今のトルコでは宗教離れが大きな問題になっているという事情もあるのでしょう、寺院に向かうトルコの人の数はまばらでした。

 

有名なバザーに行きました。イスタンブールの町の中心部の四分の一ぐらいがバザーと呼ばれているアーケード街です。

そこにはなんでもあるようでした。

ところが、どこにも値段が付いていないのです。

全ては交渉です。

言われた値段の半分以下で買わなければならないと、旅行前に知人たちに口酸っぱく言われていました。

しかし、値切って行くのは日本人には失礼な気持ちが先立って、難しいものです。

言われた値段で買うのも悔しいし、値切るのも心苦しいし、ということでちいさな赤い帽子を一つ、還暦祝いに30トルコリラで買いました。

1600円くらいです。

私がぼんやりしていると、売り手の伯父さんが値段をどんどん下げて行くので、どこまで下がるのか楽しみながらの買い物でした。

この帽子はよく似合うと好評ですから、日本にも持ってゆくことを考え中です。

 

知らない街を歩くのは楽しいものです。

イスタンブールは丘の上の街ですから坂道で石畳の上を歩きます。

普通の靴よりも、登山シューズでもはいたほうが向いているようなかんじです。

街には色とか音があります。

昔プラハの街を歩いていて、「この街はニ短調だ!」と直感し、レコード店に飛び込んでニ短調の曲を探した覚えがあります。

シューベルトの弦楽四重奏「死と乙女」を買いました。

プラハでモーツァルトのドン・ジョバンニが初演されたことは後で知りました。

今回のイスタンブールでの印象は透き通るような深い青でした。

この街の持つ深い悲しみの様なものでもあり、未来を信じて、今変わろうとしているトルコの人たちの深い思いでもあるようです。

真っ青の小さなビーズのネックレスを買いました。

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