シューベルト - 音楽から歌へ
明日一つ年を取ります、ですから今日はアフォリズム的に書きます?!
一昔前までは独り言をぶつぶつ、他の人に聞こえる様に言うのは精神的に病気だと言われたものですが、最近は他人に聞いてもらう独り言に矛盾を感じなくなった時代です。今流行っているブログのことを言っているのです。勿論自分のことも含めてです。
基本的にはブログは独り言ですから非健康的なところがあり、あまり言わないに越したことはないと思います。
独り言の様なものですが、自分に歌う時でも歌は全く違います。独り言と一人で歌うのとは雲泥の差があります。鼻歌の様に自分だけに歌っても、独り言の様に自分の中に閉じこもることはなく、それどころか、逆に心の解放になるので不思議です。独り言は病的ですが、歌は極めて健康です。
神仏につながるのは歌を通してです。これが健康のもとかも知れません。これは宗教の種類によって違うことがなく、すべての宗教が歌を基盤にしています。教典は歌われるものです。ですから歌に魔法の力感じます。歌は魔法です。まさに正真正銘の魔法です。
歌は人の心を神仏につなげ、心を解放します。恐るべきものを人間は持っています。素晴らしいものを神様から授かったものです。歌と言うのはもともとは言葉を歌うものですから、そもそもは言葉が素晴らしいのでしょう。ところが、おなじ「ことば」と呼ばれているものですが、今日の言葉の様にただ用を足しているだけの言葉ではありません。歌いたくなる程の言葉が昔はあったのです。その歌になるほどの言葉を基礎に教典が作られています。そんな言葉を使えれば、心も解放されると言うことでしよう。
独り言文化、ブログ文化から歌う文化に変わることは考えられるのでしょうか。変わって欲しいと思います。言葉が変わると言うことでしようか。それは同時に歌うと言うことでしょうか。そんな言葉を使いたいし、使わなければと思います。
詩のような言葉でしょうか・・・。違うと思います。神仏につながる言葉はポエジーからの言葉ではなく、その言葉は祈りからの言葉です。お祈りと呼んでいる様なお願い事ではなく、普通には感謝と呼んでいるものです。真の祈りは感謝です。歌は祈りです。だから歌から元気をもらうのです。
シューベルトは音楽から歌を抽出し、音楽を歌に変えようとした人でした。機械的な音楽から歌う音楽に変えた人でした。そしてその歌から言葉が影響されて近い将来歌う言葉が復活するかも知れません。
今はそんなことを願いながら、来週からの録音が楽しみで仕方ありません。