ライアーの再発見と新たな確信

2011年10月30日

東北を廻っています。

岩手は花巻、宮城は仙台、そして福島、郡山という流れです。

今日は福島の本宮でのコンサートの報告をします。

そこでありがたい経験をすることができました。

ライアーの再発見といっていいものです。

 

集まった方たちは、福島周辺で積極的にボランティア活動をされてきた方たちです。

五十人以上の方たちの年齢は平均すると六十歳以上だと思います。若い世代は平日のお昼時という時間帯のために参加が難しかったようです。

会場は、昔酒屋さん、井筒屋さんという屋号です。そこを改造して、主人の渡辺富美子さんは子ども文庫、読み聞かせ、支援センターなどが使えるように工夫されておられます。

ライアーのコンサートは、昔の土つくりの蔵を板の床と、板で囲ったところでした。

当初はほかの空間を考えられていたようですが、そこでの響があまりにもアットホームだったのです。

空間的に狭くなることを覚悟で思い切って実行しました。

 

はじめに空間を和ませるために自自己紹介を兼ねてお話をしました。

そしておもむろにヘンデルのエアーを弾くと、驚くほどの熱気が私のほうに向かってきます。

弾きながらだんだん渦が生まれてくるのを感じていました。

実はここに参加された方たちは今までライアーを聞いたことがない方たちばかりでした。

それなのにはじめて聞くライアーの音に全身全霊で反応するのです。

こんなに深くライアーを聞く人の前で弾いたのは久しぶりでした。

 

そのときの感触を整理してみました。

年齢がなすものだとも言えます。齢を重ねることで熟してゆくものがあるという意味です。

しかしそれよりも今回は、ボランティアを積極的にされる人たちの心の豊かさを強く感じました。

そこに生まれる豊かさのほうが私には具体的なような気がします。

 

ライアーには熟した豊かさが似合う。

そしてこれから私がどのようにライアーと向かっていったらいいのか答えのようなものをいただけました。

ライアーは若い人たちの魂の叫びを発散させるには適していない楽器です。

年齢を重ね、そこで生まれる豊かさ、熟してゆく人生、これがライアーにはよく似合います。

熟したライアーの音色、これからの私の努力の方向だと今は信じています。

 

まずは福島の報告でした。

 

明日からは中国です。

又報告します。

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