思春期 その三
矛盾に気が付くのはいつかと言うと、本格的にはやはり思春期です。
矛盾は複雑で、上等な構造を持っているので、思想的に物事をとらえたところで始めて味のあるものになります。
どうにも解決が付かないなんて、すこし年齢を重ねた人にとってはなかなか味のあるものです。
矛盾は思想的に理解しただけではあまり意味がないかもしれません。矛盾は生々しく人生の中で出没するもので、
思春期と言うのは、人生という航海に出発の準備ができたと言う風に理解できるのではないのでしょうか。
それまでは矛盾の代わりに「ホントウ」か「ウソ」ということが子どもの中では気になっています。ホントウは見えないですがウソはよく見えます。「お母さんはウソツキ」というのはお母さんが買ってくれると言ったものが買ってもらえなかった時などによく聞く、裏切られた子どもの叫びです。お母さんを全面的に信じているからこそ出て来る言葉ですから、そのあたりでも矛盾の先ぶれはみられます。
ウソはそんなにウソではないと気が付いたらどうなるのでしょう。勿論本ホントウも同じです。そんなにホントウなことはなかったのです。それが思春期に入ったところで真正面に現れて来ます。
ホントウ・ウソで、白・黒で物事が解決できれば全ては安泰です。生きているとそれだけでは解決にならないことばかりです。自分の思っていることが正しくて、相手は間違っていると言うパターン、生き方が子どもです。なんでも思い通りになるとも思っています。自分が間違っているなんて間違ってもあり得ない訳ですから、なかなか謝れないのです。
異性に恋をしたら話しは違います。恋ですから盲目で、なんで好きになったのか解りません。友人からは「なんであんな人を好きになるのか」と聞かれるのですが、説明できないのです。それでも、相手が自分のことを同じ様に好いてくれていれば幸せです。
でも相手は自分のことを好きでないらしいとなると話しは複雑です。こちらが好きなことを発信すればするほど、相手は引いてしまいます。子どものときは欲しいものがあればお母さんにおねだりすれば買ってもらえたのですが今度ばかりは様子が違います。失恋は誰にとっても始めての、しかも大きな挫折です。土下座してお願いしても、大きな声で鳴き叫んでも相手はこちらを振り向いてもくれません。ましてやお母さんに登場してもらったら、一巻の終わりです。
ある人のことを嫌っていて、向こうも同じくらい嫌いなら、そもそもくっつきませんから問題にはなりません。
あるいは、御相手さんがこちらを好きではないらしい、仕方がないと諦められれば、その先悩むことはありません。さて、
こちらは好きで相手がそうでない時困るのです。
矛盾との始めての出会いは味があるどころか悔しいものです。しかもその悔しさを何処にも持って行けないと言うのは、まさに修羅場です。自分の中で悶々するしかない、それも思春期の特徴でしょう。
しかし矛盾は否定と肯定の二つの面を持っています。「もっといい人がいる」と始めはやけくそになっても、そのうち「もっといい人がいる」と自分を元気づける気持ちが心の中から湧いてくるものです。
人との付き合い方はこうして育まれて行くものです。思春期は大きな起点にある時期です。