喋らないことの危険性

2013年7月9日

言葉を喋ると言うことについて、と言うか言葉を喋るのは人間だけと言うことを改めて考えようと思います。

天使、エンジェルは喋らない様です。サイレントな世界で交信しているのでしようか・・。

言葉はあるのでしょうが、言葉を喋ることを超えた存在と見ていいのでしょうか。

人間も何時の日か喋らなくなってしまうのでしょうか。喋らなくても済むようになるのでしょうか。

 

地上のことにしても、動物は喋らないし、植物も石も喋らないのですから、喋るのは人間だけです。

喋ると言うのはとても特殊なことに見えて来ます。

 

始めに言葉ありき。これは新約聖書の中のヨハネ福音書の冒頭です。キリスト教徒でなくても聖書のことをよく知らなくても、多くの人の知る一節です。ここで言う言葉が何なのかはいろいろな説がありますが、ギリシャ語ではロゴスです。そして、その後にすべては言葉から生まれたと続きます。でもこの言葉は喋ると言うことを暗示していない様な気がします。

 

もう一つの聖書、旧約聖書の始まりは、天地創造です。

そこでも言葉が大活躍しますが、そこでは言葉は口から発せられているものです。神様が「光あれ」と言うと光が生まれるのです。人間も言葉から生まれました(その時点ではまだアダムだけでした)。

喋ると言うのは創造に関係していると見て好い様な気がします。

 

喋ると言うのは当たり前すぎて素通りしてしまいます、そして地上では人間だけがそれをしているのですが、どうしてなのでしょうか。

 

喋ると言うのはとても健康なことです。喋らないで何年も生活するなんで考えられません。それどころか言葉を喋らないと人間は死んでしまいます。昔、11世紀にドイツのある王様が、生まれたばかりの子どもがどのように喋りはじめるのかを知りたくて、子どもたちに周囲からの言葉掛けは勿論、全ての言葉を遮断して聞かせずに育てことがありました。その子どもたちはごく幼いうちに死んでしまいました。言葉を喋ると言うのはただ健康に好いと言うレベルのことではなく、生命に関わることなのです。

 

現代はインターネット、メールでのコミュニケーションの時代で、ディスプレイの文字と写真によるコミュニケーションで、喋ることによるコミュニケーションが退化してきています。喋らない、無言の言葉が横行していると言うことです。

 

喋ると言うのは「話す」と言うことで「放す」に通じます。話すことで、心の中にあるものを放していると言うわけですから、心の掃除には話すことが必要だと言うことです。

放されない心の中は、思いがたまってしまいます。その思いはますます重いものになってしまうのです。

心の解放のためにも喋ることをもう一度考えてみる必要がありそうです。

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