ドイツ語のGespräch(ゲシュプレッヒ)とは

2013年7月17日

二人の人間が話しをしている時、そこにはいろいろな形が考えられます。

目的があって、何かを決めなければならない時は深刻です。しかもお互いに意見が違うとなれば譲りませんから半ば喧嘩の様なものです。

しかし意見が違っても結論を出さなくていい時は意見が違うことが楽しく、「そんな風にも考えられるのか」となります。

意見らしいものがなく、日々の生活の中から話しが生まれることもあります。

人の噂をする人もいますが、私の好みではないです。

 

今日ここで取り上げたGespräch(ゲシュプレッヒ)というドイツ語はどう言う言葉なのかと言うと、二番目に近いとおもいます。

ただし内容的に高い会話の時に使います。テーマになっている話しが深まって行くという感じがする時にGespächと言います。篤いものとも言えます。そして話し行き来はバランスのいいものです。

テニスや卓球屋バドミントンの様なものではなく、蹴鞠の様な勝ち負けの無い世界です。

もしテニスにしろ卓球にしろバドミントンにしろ相手が打ちそこなってそれが得点になるという現行のルールを、全く逆に、相手が打てない様な球を返えした方が失点ということにしたらどうなるでしょうか。プレイの雰囲気ががらっと変わると思います。ただ今は想像しているだけなので、実際にそういう形のプレイを見てみたいものです。

Gesprächにはこう言う精神が生きている様な気がします。

 

言葉は他の言葉に訳せないものが案外多いものです。厳密に言ったら他の言葉には訳せないものなのかもしれません。Gesprächというのは話し合う、意見を交換するという意味で使われるものですが、私にはなんとなく別の意味がある様な気がしてならないのです。

一番の基本は相手を思いやる、相手の立場になって話しをするということです。意見を交換するとは言っても、討論するのとは違います。討論はある意味では戦いの様なものですから、唾を飛ばしてやるものですが、Gesprächは穏やかに、相手の言っていることに耳を傾けます。穏やかな雰囲気です。

この言葉がドイツ語にあるのが正直驚きです。ただドイツで生活をしていて、気持ちのいいGesprächだったと思ったことはわずかです。彼らは討論やディスカッションにならないと話し合った感じがしないようで、穏やかに話しをするなんて、眠くなって仕方がないと言われてしまいます。

しかしゲーテはGesprächを最高のものと考えています。その様に考えた人が一人でもいてくれたことが嬉しいです。

ただゲーテがGesprächの名手だったとは想像しかねるのですが・・・

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