帽子のこと

2013年7月26日

似合う帽子が欲しいと思うのですが、どんな帽子が似合うのかが解らないので、自分で帽子を買ったことは、必要に迫られて買ったこと以外はありません。

恥ずかしさが勝っている様です。着るものだとすこし位派手なものでも、形の珍しいものでも平気で着てしまいます。恥ずかしいという感覚は服に関しては無いのですから、帽子というのは相当不思議なものです。顔に一番影響があるものだからとも考えたことがありますが、始めて眼鏡をかけた時にはそんなはずかしさは無かった様に記憶増しています。ひげを伸ばしていた時にもそんなことはありませんでした。

 

帽子の影響力は実に大です。帽子が苦手と言うのはその影響力に打ち勝てないでいるということでしょう。

 

人がかぶっている帽子を見て、よくにあっていると思うことはあります。が、居直って言うと、所詮、帽子はかぶった者の勝ちです。なんでもいいから気に入った帽子をかぶればいいのだと、この頃思える様になりました。

そんな機運からでしょうか、実は大晦日に帽子を買いました。黒い、つばのやや大きめの、被るとすこしだけ人間が良くなった様な気分にさせてくれる帽子です。買ったはいいのですが、今までに二度被ったに過ぎません。

被った者の勝ちとは解っているのですが、まだ恥ずかしさに勝てないでいます。

帽子が頭の上に乗っかっているだけなのに、何がそんなに恥ずかしいのか、自分でも不思議です。

 

帽子をかぶったままでは失礼とはだれもが心得ていることですから、人前では帽子を取ります。敬意を表して帽子を脱いで挨拶をします。昔の映画でよく見るシーンで、とても優雅なものです。きっと宗教的な習慣から来ているのでしょう、キリスト教の教会では絶対に帽子を取ります(女性はそのままでもいいのだそうです)。

帽子はかぶったり脱いだりが忙しいもので、そのたびに髪形が崩れるのも気になります。女性がそのままでいいというのはそんなことがあるからかもしれません。レストランでも男性に限って帽子を取る様に言われます。昔は食事をすることが神聖なものと考えられていたからでしょうか。ここでも女性はそのままでいいのは不思議です。劇場でも(男性だけ)帽子を取ります。

昔の方が帽子は生活に密着していました。今はお洒落のためのものが主流ですが、身分をあらわすもの、職業を現わすものでもあり、制服があるところではたいてい帽子もセットになっています。

帽子にはめんどくさい風習がつきまとっています。衣服でこんなにうるさく言われるものは他にないので、帽子の役割と言うのは相当特殊なものと言っていい様です。

 そんな帽子ですが、早く気楽に被れる様になりたいものだと願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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