ホタルの光
ホタルが水際に住むというのは日本の源氏蛍、平家蛍のことで、ドイツでは夏の暑い日に森の中に出現する蛍を見に行きます。
今年はついに蛍を見ることができませんでした。
蛍の幼虫が大きく育つ頃ドイツはまだ昼の気温が一ケタと言う寒さだったからではないかと専門筋は見ています。
水田に水が引かれたその頃に蛍が出るというイメージですから、ドイツに来たころにホタル狩りをしようとこんもりとした森に連れて行かれた時はびっくりしたものです。蛍と言う言葉を辞書で調べて確認していたのでホタル狩りに行くことは間違いないのですが「森の中に本当に蛍が居るのかな」と半信半疑で森の中に入って行ったものでした。蛍はいました。日本で見慣れているものよりずっと小さく放つ光の量も少なく、時間も短いのですが、まぎれもない蛍でした。
夕闇が濃くなる頃出発しました。緯度の高いドイツでは六月は夜の九時半ごろが日没です。その後にならないと暗くならないので、十時頃うす暗くなってからが本格的なホタル狩りです。
一匹目を見つけるとすぐにその後が見つかるのですが、目が慣れていないからでしょうか、
始めの一匹がなかなか見つからないのです。
蛍の種類が違うので何もかもが違うのですが、夜の暗い中で飛ぶ光る虫を見るのは、ドイツ人にも幻想的な印象の様でした。物知りがいてすぐに「蛍のお尻は何故光るのか」と説明し始めるのですが、そんな現実臭い話しに耳を貸す人はあまりいなくて、光が飛び交う様をはしゃぎながら見とれている人、光の跡を追って行く人と、それぞれに童心に帰っていました。
森から出てまた街灯に照らされた道を歩きながら、みんな幸せそうな顔をしているのですが、年輩の女性がいまだ夢からさめやらぬといった表情で、近くの人にさっき見た幻の世界のことを篤く語っていたのを思いだします。
闇の中で見る蛍の光は、夢の世界をさまよっている様な錯覚をもたらせます。
子どもの頃は池袋の川でも蛍は見えたのです。それが河川の汚染が進むにつれていなくなって、環境汚染が叫ばれる様になって蛍があたらこちらに出現した時には、新聞も随分蛍が帰って来たことを書きまくっていました。
蛍は人々の心に「何か」を残して、いっとき農薬と工業用水出汚染された河川から消えて行ったのです。そして再び返ってきた時には喜びで迎え入れられました。
蛍は向こうの世界からやってくるのでしょうか。
音に関しては、右脳と左脳の働きの違いが指摘され、コオロギの声がただの雑音に聞こえる西洋人の脳がよく引き合いに出されますが、視覚的な世界ではどうなのでしょう。
蛍の経験だけでは何とも言えないでしょうが、蛍の光に幻想的な雰囲気を感じたり、一気に童心に引き戻されたりと言う様子を見ていると、聴覚程の違いは無いのではないか、そんな気がしました。