八月の祭り
日本の夏は祭りが盛んで青森県のねぶた、弘前のねぷた、この二つは双子の兄弟の様なものです、あるいは山形の花笠などは地方色を持った夏の行事としては欠かせないものです。南に行くと徳島の阿波踊りも八月の行事です。
北国の祭りの方が盛大だとはよく言われますが、冬と夏のコントラストがなせる技と見ていいのかもしれません。
一方規模は小さくなりますがお盆にちなんだ盆踊りも忘れてはならないものでしょう。素朴な笛と太鼓でお決まりの踊りを輪になって踊るのは、今ではすたれてしまったのでしょうか。昔は村意識の結束にも役立ったり、村の共同生活には欠かせない大切なイヴェントだったのではないかと想像します。
八月は夏の真っ盛りで、活きが良い月といえそうです。それが祭りに合うと古来から考えられていたのでしょうか。
年配の方の地味なしっとりしたゆかた姿には深い味わいがありますが、若い人の浴衣の色は派手なほうが浴衣らしいものです。
掛け軸に使う夏の字と言うのがありますが、それなどもきっぱりとして、大胆な書が多く、涼しさを呼ぶとして好まれます。
お茶の夏茶碗もまっすぐ外に向かって広がっている茶碗です。
四季を大切にする日本ならではの夏の演出が至る所に見られます。
夏は花火大会が各地で見られます。最近の花火大会は鍵屋・玉屋どころではなく、コンピューターでプログラミングされて、息を止めて見入ってしまうほどの大饗宴です。
ドイツで真冬に豪華絢爛たる花火大会を見に行ったことがありますが、全くのミスマッチでした。オーバーの襟を立て、毛糸の帽子をかぶり、手袋をし、白い息を吐いて見上げる花火は、見ている私たちもですが、花火も幸せそうには見えませんでした。
夏になると子どもの時には金魚屋さんが「金魚ーや、金魚」と言って長いリヤカーにガラスの金魚鉢を沢山積んで風鈴と一緒に売りに来ていました。金魚鉢の中の水が揺れるのに金魚たちは何もなかったかの様でした。確か一度も買ってもらえなかったと記憶しています。母から「冬には石焼き芋屋さんなのよ」と聞いた時、あの金魚たちは冬どこに行ってしまうのだろうと子どもなりに考え込んでしまったことを思いだします。
夏休みの宿題に八月の気温を調べて提出するというのがあって、新聞とわが家に作った温度計で気温を計ったのですが、当時は三十度を超す日が数日合った程度の様に記憶しています。三十度を越した日はうきうきとノートに書いていたものです。ここ十年は三十度を越さない日が何日あったかと全く逆転してしまいました。