わが家の庭のキツネ
私たちが住んでいるところは、シュトゥトガルトの南斜面にあり、一日中太陽が注ぐところで、その昔はブドウ畑でしたからお陰さまでわが家では一日中太陽が拝め、庭の植物にとっては天国様なところです。
その庭の数メートル下にキツネが住んでいます。最近よく子狐を見かけますから家族で住んでいるようです。
かつて農夫の人たちが、取れたブドウの貯蔵や、道具の置き場として、斜面に大きな、結構深い穴を掘ったところが、戦争時代に防空壕として使われることになり、軍が更に深く掘って整備し他の入り口との連絡が取れるようにしたものが、戦後の混乱の時期に穴を埋めずそのままに放置され残っています。
今はそこがキツネが住む場所になっています。これはかなり信憑性があるという以上に確実です。設計図を市の方から取り寄せてみたのですがかなりの広さがありますから、そこはさながらキツネにとっては高級住宅です。
入り口と思われるところは斜面になっているうえ、半ば野性化してうっそうとしているのではっきりとどこが入り口なのかは解らないのですが、斜面の何処からか出没しているようです。
最近は小さい子狐がよく庭に現れては、工事現場で見つけたコールタールの付いた作業用の手袋をかみちぎってはじゃれていて、芝を刈った時に数えたら10個の引きちぎられた手袋が庭のあちこちに散乱していました。
昔はジャガイモ、パンプキン、イチゴなどを植えていたのですが、エキノコックスの話しを聞いてからは庭に菜園を作ることを諦めました。
市に問い合わせたら、市当局としてはいかんともしがたく、殺すことも許されていないので、そのままにしておくということでした。ちなみに「都会のキツネ」と言うカテゴリーがあるのだそうです。
キツネは夜行性と聞いていたのですが、都会のキツネは昼間もわが家の庭を徘徊します。ある昼下がりのこと、庭で本を読んでいたら、三匹のキツネが通り過ぎました。二匹は大きめで、一匹は小さく、見るからに子狐です。歩き方、仕草、落ち着きのなさは人間の子どもとそっくりです。家族でどこかに御出かけでもしたのでしょう。
庭にキツネが居ることを始めて知ったのは、ここに引っ越してきて間もない一月の満月の夜でした。その前に降った大雪がまだ積もっていて、明るい月明かりの中で庭はうす暗くなった夕方くらいの視界でした。夜中に目が覚めて月が明るいので窓から外を見ていると犬くらいの大きさの動物が二匹庭をうろうろと徘徊しています。しばらく見ていると動きから犬ではないことが解りました。しかも尻尾が犬の尻尾と比べるとずっと大きいことと、隣とのあまり高くない垣根ですがそれを優雅に飛びこえるのです。その瞬間はまさかキツネとは思いもしませんでした。
様子を見ていて「キツネだ」と頭をよぎったのですが、まさかこんな町中にキツネが居る筈がないと一度はキツネ説を引っ込めて、庭から消えて行く二匹の動物を見送ったのです。しかし本当にキツネにつままれた様な気分でしばらくは窓から見ていました。すると突然「コンコンー、コンコンー」と鳴き声が聞こえて来ました。それまで一度もキツネの鳴き声を聞いたことはありませんから、その「コンコンー」がキツネのものだと確信はできないでいたのですが、キツネのことを「こんこんキツネ」と呼ぶ習慣があることを思いだし「今のはキツネだったんだ」とキツネとの出会いに興奮しながら、キツネにつままれたままの状態で起きていました。
次の朝「昨日キツネを見たよ」と朝食の時に家族に言うと「満月で少しおかしくなったんじゃない」とからかわれて、それ以上は何も言う気が無くなったその時です、台所から庭を望めるところにキツネが現れたのです。昨日のキツネに違いありません。私が家族にいじめられているのを知って応援に来てくれたのです。
それ以来わが家のキツネとはできるだけ仲好く付き合っています。