講演の準備
話すことは慣れてもやはり話すまでは緊張します。
人前で話すということより、話しその物がまとまるかどうかが気になるのです。
話すというのは、話しながらだんだん緊張がほぐれて行くもので、今までの経験から言うと話し始めて20分くらいでエンジンがかかる場合が多いです。
ところでこの秋一体何を話すのでしょう。そのための準備は・・。
講演の準備と言うのは、話し手によって随分違うのでしょうが、私の場合は、講演の前に知識を得るために本を読んだりすることはしません。そんなことをしても焼きつけ刃ですから、体裁は整えられても、中身が貧弱です。他人の考えの上に自分を乗せても、その場はごまかせても、時間がたてばばれてしまいます。話しを聞かれた方が日々の生活の中でそんな話はごまかしだと気が付くと気があるのです。
こんなことを言うのは私自身で経験しているからです。話し手本人の心の中から生まれた思いを聞いた後と、知識として知っていることを聞かされた後とは決定的な違いがあるもので、話し手の人生殻の言葉は、聞き手の人生にとっても力になるのです。すぐに役に立つというものではないことの方が、聞いてすぐに役立つ話より深く入って来ます。
そんなわけで、準備と言うのは毎日の生活、日々思うことを鍛えるということでしかないのです。改めて準備と言うのはしないですが、毎日が、一瞬一瞬が準備なのかもしれません。そこで感じたことを話すわけですから、私の講演会では、ためになる様な、あるいは御勉強になる様な話しは出てこないというわけです。それでも24年間話す機会を与えられたということは、この手の話しを聞きたがっている人がいるということだと思っています。
もとやまさと保育園の園長、現在は理事長であられる、今年80歳になられる後藤淳子先生は、何度も難題をぶつけては私を困らせたものです。こちらはこちらで楽しみながら困っていましたが・・。
「輪廻転生と教育についてお話ししてください」と優しい顔で言われると、魔法にかかってしまった様なもので二つ返事でするしかないのです。しかし大変な講演会のテーマだとは思いながらも、実を言うといわゆる準備と言うものができないのです。そのために読むべき本などと言うものはないわけですから、じたばたしても仕方がなく、淡々と日々の生活の中でそのテーマに思いをはせながら居るだけです。先生曰く、「上から降りてきた演題ですから仕方ありませんね」と言うことですから、こちらもそれを受けて「話す内容もきっと上から降りて来ますね」と軽く流しておます。ただ心の中はヒヤヒヤです。
講演と言うのは、その場に居合わせた方たちとの共同作業ですから、来ている方たちの期待感が私から話をひきだしてくると思っています。聞き手がいいと話しも善くなるということです。
ということで、講演会の準備はもうしっかりとでき上っています。後必要なのは、講演会に来てくださり方の笑顔と、私の体調だけの様です。