光のデジャブに添えて
右の写真が、「光の魔法」のジャケットの写真から、秋に発売された6枚目のCD、「光のデジャブ」のジャケットの写真に変わっています。
私の姿は小さくなってしまいましたが・・、左下に立っているのが私です。
デジャブというのはフランス語で「かつて見たことがある」と言うことですから、本来は視覚的な体験に基づいているものです。つまり、今目の前にしている風景、花瓶、一服の絵、着物の柄、建物等々が、今始めてみているものではなく、昔どこかで今と同じ様にその物の前に立ったことがあるという体験と言っていいと思います。
しかし私たちは今回のCDを作るにあたって、視覚的な追体験という所から少し幅を広げて、聴覚的な追体験と言う意味あいも含めて使いました。
そもそもライアーの音は他の楽器以上に追体験を頻繁に引き起こすと言うのか、潜在的なところにある思い出をひきだしてくるところがあります。今までにも、講演の後の私のライアーから、幼児期の懐かしい光景が浮かんできました、というお言葉を何度もいただいています。しかも、とても嬉しくて涙が出てしまいました、と言うものがほとんどでした。
私たちは、ある年齢に達すると、昔のことを思い出すことから不思議な力をもらいます。ただ懐かしかったというだけでなく、その懐かしさの中に何時までもくるまって居たい様な、そんな懐かしさです。
私の個人的な体験を言わせていただくと、その思い出と共に今の私の心の中に暖かいものが流れ始め、それが心とをとてもしなやかにしてくれるのです。干からんでいる心を潤してくれると言ってもいいかもしれません。その時思い出されることは、現在の人生とは全く結びつかないものがほとんどです。
でき上ったCDを聞いていると、時間が消えて行くのです。時間は空間的なものではないので、こことか、そことか、あそことかにあるものではありませんから、あると言っても、実際にはない様なものです。でも、時間に対しての感覚と言うのは皆持っています。
ただ時計が生活の中に入り込んできてからは、時間感覚に変化があったとは思いますが、それでも私たちは時間を感じて生きているものです。
しかしその時間に対しての感覚がマヒしてしまう様な感じがありました。今まで五枚出しているCDにも伴っていた現象ですが、それ等よりも今回の方がその体験が鮮明でした。時間が消えると、押し込まれていたさまざまな思い出が、自由に飛びまわっているのです。取りとめがなく、何の意味もなく、無重力な状態の中を飛び回っていました。しかもその一つ一つがとても鮮明なのにびっくりしました。
私の演奏法、ライアーと言う楽器の持つ力、それに加えてシューベルトの力です。彼の音楽、彼のメロディーには今までの音楽が到達できないでいた所からあふれ出て来る何かがあるのです。その何かは、私たちが今でも解明できていない、思い出す、思いだせるということの持っている神秘的な力とよく似ていると思います。
自分で演奏したCDを聞くというのは何とも恥ずかしいものですが、シューベルトの音楽の魅力、秘密を今回の録音からもう一度探ってみたいと思っています。
皆さんと意見を交換できたら、嬉しいです。