父が他界しました

2014年2月18日

父が九十二歳の生涯を閉じ永眠致しました。

前日から日本各地が大雪に見舞われた、白銀の日、二月十六日の午後三時六分でした。

もともと気管支の弱い父は低気圧の中でタンが今まで以上に絡んで呼吸困難に陥り、それが原因で心臓に負担がかかり過ぎてしまったようです。死因は心不全でした。

父の訃報を姉から受け取ったのは宮崎県の高千穂、神話に登場する、あの高千穂でした。

 

荒立神社をお参りしているときのことでした。この神社にお参りした人は必ず子宝に恵まれる言われ、全国から多くの参拝の方が訪れるお宮さんです。私を案内して下さった方もここをお参りしてすぐにお嬢さんを授かったと話して下さいました。宮司様に特別にお許しをいただいて、神殿の中でお参りをしている時のことでした。携帯が鳴り、「お父さんの呼吸がなくなって・・」と鋭い姉の声が私の耳に飛び込んで来ました。続けて、うわずった声で「今お医者さんを待っています」と言われたその瞬間、胸の中を熱い思いが走ったのです。そしてその時、「父は生前慕っていた日本の神々の許に行こうとしているのだ」と直感しました。「父は、神々の世界に生まれようとしている」荒立神社の神殿の中で私にはそうとしか思えませんでした。

 

私が宮崎に向かった十四日の金曜日、羽田発の飛行機は前日からの大雪で大幅に乱れ、九州に向かう飛行機は宮崎行きを除いてすべて欠航になるという有様でした。飛行場は足を奪われ途方に暮れる人でごった返し、チケットのキャンセルのために並ぶ人は数時間にも及ぶ長蛇の列の中で疲れ切っていました。

 

宮崎では昨年の秋に義父の他界のために延期になった延岡での講演会が私を待っていました。

その時点では延岡での講演会が再度延期になるのを免れることが出来たことを喜んだだけでしたが、秋の講演会が延期され、この冬、しかも日本各地が雪に埋もれたこの日になったのは意味があったのでした。

講演会の次の日、もう一日延岡に滞在し、延岡の周辺を散策したいと主催者の方にお願いして高千穂への小旅行が実現しました。その日が父の他界の日と重なるとは・・・。

父が私を豪雪の合間を縫って宮崎に、延岡に、高千穂に向かわせた様です。父の死が確実になった二度目の電話の時、私はこの符合が偶然ではないことを心の中で確信していました。前日まで高千穂地方は大雪のために交通規制がかかり車両は入ることが出来なかったと知らされた時、いよいよもって父の他界と私が高千穂の地に居ることの結びつきがあらかじめ予定されていたように思えてなりませんでした。

 

二月十六日、雪の高千穂は凛とした神々しさに満ちあふれていました。半世紀に一度の大雪です。道ばたに残る雪の量に前日までの雪の深さが偲ばれます。広大な盆地を望む国見の丘は二十センチ以上の雪に埋もれ、歩くのもままならない程でした。遠くには雪をかぶった阿蘇の山が太陽に照らされ白銀を称え輝いていました。国見の丘からは三方に盆地が広がっています。深々と眠る広大な盆地は雪に埋もれ、寒さの中で凍り付いたような静けさをたたえていました。深い雪の中で凍てつく高千穂の風景が目の前にまぶしく広がっています。生涯忘れることの出来ない程の深い印象を私の心の中に刻み込みます。

父はこの日を選んで、高千穂にいる私を足場に、神々の天に昇って行きました。私の最後の親孝行だったと今は思っています。

 

二十日の通夜、二十一日の告別式は逗子の二葉会館で挙行されます。

その前の日も天気予報では雪が降る様です。白銀の葬儀にでもなれば、これからは亡き父を「白銀の人」と呼ぼうと考えています。

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