グリムの甘いおかゆ、あるいは引き算の始まる人生
足し算、引き算は小学生の時に習う計算に必要なルールです。ところがそれだけではなく人生を通して見え隠れしている自我のルールでもあるのです。
子どもの頃のことを思い出すと沢山あると幸せでした。何でもです。おもちゃも、着るものも、勿論小遣い、お年玉も、もっと欲しいが基本でした。増えるのは楽しみでした。これは足し算そのものです。足し算をすれば増えます。増やしているときは足し算をしているのです。
ものが増えてゆくだけではなく背が大きくなるのもおなじで、楽しみでした。
子どもというのは足し算だけで生きているというのが良くわかります。
子どもに象徴される足し算人生、理解していただけたでしょうか。増えれば増えるほど、伸びれば伸びるほど子どもを幸せにするのです。どんどん増えてほしいという本能的な要求がある訳です。子どもの夢は、いつまでも増え続けて欲しいのです。
足し算人生の目標は無限です。
しかし一生、足し算だけで過ごせるのでしょうか。
いつまでも、もっともっとが続くのですから、その人の人生はいつまでたっても足りていない訳ですから、不満続きの人生ということでもある訳
から、いつか疲れてしまいます。辛い人生が想像できます。
足し算だけでは大人げないと、いう言い方もできると思います。
大人への一歩は足るを知るということですから、いつの日か足し算に終止符が打たれなければならないのです。
子どもから大人になると言うのは、足し算人生に引き算人生が加わると言うことなのではないのか、私はそう考えています。
足し算人生しか知らなかったとすると、貧しいものです。
貯金が増える、財産が増える、土地が増える、着るものが増えると何でも膨らんで行くのは、物質的な見方からすると、豊かになることですが、別の見方からすると貧しいものです。
続く