日曜版 4 日曜日の楽器
日曜日が週の初めというのはキリスト教の復活の日だからで、そのために日曜日はキリスト教圏では特別な日になります。日曜日に教会に行くのもそこから来ていて、そのために日曜日に着る洋服があり、日曜日の食事があり、スコットランドでは日曜日に使うチェックの色調が白を基調にした柄に変わります。
日本語でいうと「晴れ」という言葉です。「あっぱれ」の晴れ、「晴れ着」の晴れです。太陽が燦々と輝いている「晴れの日」の晴れです。漢字も洒落ています。
日曜日には教会に行って、その後、日曜日の食事をします。主婦を台所から解放してあげるという思いやりからレストランに行く家庭もありました。日曜日の食事のメインは肉です。そしてその後散歩をする。この散歩がとても大事で、家族そろって着飾って「日曜のお散歩」をするのですが、たいていの子どもがいやいやついて行ったという記述は枚挙にいとまがなく、子どもの頃の思い出の中で一番思いだしたくないものです。
一昔前までのドイツの典型的な日曜日の過ごし方でした。ドイツに限らずキリスト教圏ではよく似たパターンで日曜日が過ごされていたようです。「不思議の国のアリス」はそうした教会に行く大人たちを誤魔化して近くの草原で、話し上手なお兄ちゃんが妹たちに話して聞かせた作り話しをもとに書きあげたもので、日曜日の子どもたちの娯楽の延長で生まれた文学ですから、度肝を抜く奇想天外で話しが成り立っています。
今日のことを英語で何というか位はご存知でしょう。todayといいます。ドイツ語ではHeuteとなります。
よく調べると大変な言葉で、t0-day、heu-teと分けられて、前綴りに当たるtoとheuが曲者だということが解ります。
今を遡ること千年、その頃ドイツ語は今と随分様相が違っていたのです。相手とどう向かい合うのか、目の前にあるものとどう向かい合うのかを細かく使いわけていました。それを今の文法的な言い方をすると目的語の扱い方ですから目的格になります。その目的格を八つに分けていたのですから、大したものです。
今日のヨーロッパ語はほとんどが目的格が一つになってしまいましたから、相手にどう対するかと言う気づかいをする必要がなくなってしまいました。相手に対しては一つの方法しかないのです。主語-目的語という仕組みは単純化してしまったのです。なんだかのっぺらぼうです。昔はさながら怪人八面相とでもいっていい様なところがあり、t0-dayのtoもその八つある一つでした。
正式の名前はInstrumentalis、インストロメンタリスです。どこかで聞いたことがある様な名前です。そうです、私たちが音楽に使う道具をインストロメント、楽器のことです、というのはここから来ています。どういう意味かというと、「それを通して」、とか「それを仲介して」ということで、つまり「道具を使って」ということになります。楽器は、何億円もするヴァイオリンがありますが、シビアな言い方をすればそれすらも「音楽をするための道具」なのです。
私たちが今日と呼んでいるものをもう少し考えてみましょう。今日は、数字的に見れば一日、二十四時間です。今日は日曜日で休みというのは週七日制の内の一日と考えています。あるいは一年を単位にすれば三百六十五日の一日と考える人もいるはずです。しかし昔はそういう風には考えていなくて、今日という一日を通して何かがももたらされると考えていたのです。日本語で「今日の善き日に」とか「三月吉日」という言い方にはその名残があるのです。
私はライアーを弾く人生の中で随分いろいろなライアーを手にしました。今はゲルトナー工房で作られたものだけを弾いています。1951年に作られたライアー、1965年に作られたライアー、1970年に作られたライアーですが最近1980年に彼がいろいろなアイデアを盛り込んだライアーをお借りして弾いています。宝石の様な響きは、さながら日曜日の楽器といっていい様な品格を感じます。とてもバランスが良く、低い音も高い音も、強く弾いてもピアニッシモで弾いてもきれいに答えてくれる包容力のある楽器です。これからすこしづつ弾きこんで行こうと思います。私が演奏することでどんな響きに変わって行くのかとても楽しみです。