金曜版 7 有終の美  

2014年5月16日

どんな音楽会でも行けばそれなりの収穫があるものですから、行けばいいのですが、なんとなく足が遠のいています。

コンサート会場で音楽に耳を傾けていると、そこで聞いている音楽からいろいろな思いが浮かび上がって来ます。会場で半分眠った様に聞いていることもあり、そんな時によく「仲さん聞いていなかったでしょう」と言われてしまうのですが、そんなことはなく、ぼんやり聞く様にしているだけで、音楽そのものは意外とクリアーに聞いているのです。そうやって聞いている方が音楽の行間?が良く聞こえるのです。

 

音楽が映画の中で効果音としてよく使われますが、たいていイライラしています。映像と音楽のミスマッチだからということではなく、聴覚と視覚の違いからくるのでしょう。お互いに補い合うと考えている人もいるようですが、映像だけで充分音楽的なものもあります。そういう画面の中にあるせっかくの聞こえない音楽がかき消されてしまいますから、実にもったいないことをしていると感じるのです。音楽の方はというと、効果音となってしまった音楽は、なんだか代用品の様な感じで、そうした音楽を聞いていても音楽が聞こえてこないのです。

音楽って音として聞こえるものばかりでなく、会話の中に聞こえたり、絵を見ている時に聞こえたり、旅行している時に聞こえたり、芝居の舞台を見ている時にといろいろな聞こえ方がありますが、いずれも音でない音楽ですが、私にはそれも音楽です。

いい音楽には中心の様なものがあります。音楽だけでなく、優れた芸術作品にはこの中心、見えないものですが、必ずあるもので、余韻となって残っているものです。ある時はそれが言葉だと感じることもあります。概念的なものではなく、イメージをふんだんに含んだ言葉で、歩きながら消えて行ってしまうことがほとんどですが、その言葉には色があることもあり不思議な広がりがあります。勿論いい文章からも音楽が聞こえます。そんな文章を書きたいと願っています。

 

さて、報告しなければならないことがあります。

実は今日のこの文章で七週間の、曜日ごとにテーマを変えて書いたブログは終ります。

有終の美を飾れるようなものを書きたかったのですが、そういうものは簡単には生まれないものです。さり気なく終わるのもいいかと、さり気なく終ります。

 

次のシリーズがどの様な形で始められるか思案中です。

来週早々に書き始められるかどうかまだわかりませんが、いずれにしても私の限界の中で生まれるものですからそんなに期待しないで、楽しみにしていてください。

ご希望がおありになる方はコメントに入れておいてください。

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