わがライアーの音 素直な力

2012年3月30日

名曲という言葉にまどわされた時期もありました。

そのあとは名曲なんかないのだと突っ張っていた時期があり、今は年の甲なのか名曲を愛しています。

名曲は有名な曲、よく知られた曲というものとは違います。

芸術的な傑作というのとも違います。

名曲を作ろうと思っても作れないのも名曲の不思議なところです。

名曲の素晴らしさは何か。

それは、その音楽が曲を作った人の心の一番深いところから生まれたことです。

 

人間は生まれる時覚悟を以って生まれて来ます。覚悟という言い方が重すぎるなら、思いです。

ぼんやり生まれてきた人などいないのです。

その覚悟に人生の途中で向かいあうことがあります。

いつ、どういう風にかは人によって違います。

気付かずに通り過ぎてしまうことだってあります。

名曲は音楽家が自分の心の深いところに息づいているその覚悟からもらうインスピレーションの一つです。

芸術的創作活動にはこの瞬間から生まれたものが沢山あります。

それは間違いなくその作品に触れる人の心を動かします。

それは芸術的、創作的真実だからです。

真実は人を通して現れるのです。

 

自分に出会う時と言えるかもしれないです。

それは恐ろしい程に素直な気持ちになれる時です。

自分という枠もなく、背伸びをする自分もなく、ありのままの姿がそこにはあります。

そんな時は人生の中でそう何度も訪れるものではありません。

でもみんなそれを知っています。

だからそれをとても懐かしいものと感じます。

名曲は懐かしいものです。

 

フォーレといえばレクイエムでしょう。

フォーレのレクイエムはフォーレの人となりから生まれた音楽です。

お葬式にはこの曲をかけてほしいという人を数人知っています。

フォーレの曲を一つと思った時、レクイエムから何かをと、いの一番に考えました。

しかしライアーとの距離を感じて見送り、この曲「夢のあとに」を選びました。

歌ですから弾き語りでやればと言われましたが、イメージがぴったりきませんでした。

ライアーの独奏曲として弾きました。

録音の時、完成まで随分と試行錯誤をした曲です。

フォーレの素朴さと土臭さとメランコリーがうまくライアーにのって歌ってくれていないように思えたからです。

ライアーは歌う楽器とは言ってもそれだけでは何も始まりません。

心の中で真剣に歌うことでライアーが歌い始めます。

ライアーが歌うように弾けた時、それはそれはライアーが幸せそうです。

 

演奏家には名演奏というのがあります。

技術的に上手とかいうものではなく、その曲の心を演奏するのです。

ライアーという小さな楽器ですが、それでもそこにはきっと名演奏と言われるものがあるはずです。

ライアー弾きとしてそんなものを目指しています。

 

 

 

フォーレもライアーを知っていたら、きっとライアーの曲を書いてくれたのでは、と思わせる一人です。

 

 

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