私の音楽から フランソワ・クープランのこと

2012年4月6日

クープランは背伸びをしないでありのままの心の姿を音楽にします。

音楽にハッタリがなく、心の中に生まれたイメージがそのまま彼の音楽となるのです。

チェンバロという清楚な緊張を持った楽器とクープランはとてもあっています。

今日ではチェンバロの曲の多くがピアノでも演奏されますが、クープランの音楽はピアノでは華麗さがうまれません。

華麗さに加えて品格も上品さも彼の音楽に関してはチェンバロから一番美しく響いてきます。

 

クープランはヴェルサイユ宮殿の中で太陽王ルイ十四世に仕え音楽をしていました。

毎週日曜日の午後のティータイムで音楽を演奏していたのです。

彼の音楽を聞いていると、どんな天気の日でも青い空がいつの間にか広がっています。

心が澄んできてさっきよりすこし高いところに運ばれた様な気がしてきます。

 

彼の音楽の特徴は装飾音です。

装飾音がそのまま音楽として位置づけられる様な音楽家は彼をおいてほかにはいません。

装飾音がまるで枕詞のように次の流れを作ってくれます。

さながら柿本人麻呂の様な印象があります。

人麻呂が枕詞と非枕詞をつなげて歌を読んでしまえる様に、装飾音が音楽の命となっています。

クープランの精神的な深みは、とても軽やかに語られます。

これは他の音楽家にとって憧れの対象になるものです。

そんそんな面がバッハをも惹いたのでしょう。

クープランがバッハと頻繁に文通をしていたことは知られていますが、それらの手紙はなくなってしまいました。

残念ながら今日では読むことができません。

バッハが二番目の奥さん、アンナ・マグダレーナのために作った教則本の中にはクープランの曲が入っています。

バッハがクープランを高く評価していたことが解ります。

 

カザルスがアメリカのケネディー大統領に招かれホワイトハウスで御前演奏をした時、クープランを弾きました。

このCDに収めたプレリュードで演奏会が始まりました。

その時のライブのCDを聞くと幸せな雰囲気が録音からでも感じられる素晴らしいものです。

クープランの音楽には、不思議としかいいようがない何か、上品さがあります。

音楽がこんなに上品に響くことはありません。

上品なんて音楽の本質ではないと言われてしまうかもしれません。

しかし、上品さは音楽の本質ですとその人たちに反論したい気持ちです。

上品さは贅沢な貴族趣味の様なものではなく、精神主義の現れですから 霊的です。

人間が霊的な精神存在になった時、そこには上品さが見られるはずです。

今は物質中心の世界ですから上品さが理解しにくいのです。

あるいは、こんな風にも言えるかもしれません。

自我には二つの顔があって、一つはエゴで醜く、もう一つは上品さで安らかな表情です。

 

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