沈黙から言葉へ、言葉から沈黙へ  その五

2014年10月2日

沈黙の前に立ちすくんでしまいます。

ここは精神世界、霊界の入り口に違いありません。

ところが入口らしいものが見つからないのです。

 

言葉は手にとる様に感じることができるものです。

言葉は現世的との結びつきが深く、毎日の生活に欠かせないものです。

 

言葉は人によって違います。

言葉遣い、言葉の選び方はその人の顔と同じです。

その人の言葉を聞けばその人の生きている姿勢が分かります。

 

時代によっても言葉は違ってきます。

その時代の感じ方、考え方が反映しているのです。

民族によっても違います。

かつては部族によっても違っていたのです。

ラジオ、テレビの普及で方言がなくなりつつあります。

 

専門的な分野にはそれに相応しい言葉が必要です。

学術用語はますます細分化して行きます。

 

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沈黙にはその人の霊性が、精神性が生きています。

その沈黙ですが、沈黙その物としては現世的に感知できないものです。

しかし言葉の中に沈黙は存在していて、沈黙を予感することはできます。

いや、沈黙が存在する言葉もあると言った方が適切です。

沈黙の生きている言葉は聞き手に良く伝わります。

聞いた人の霊性を高めてくれます。

 

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音楽にも同じことが言えます。

素晴らしい音楽には必ず沈黙が存在しています。

音だけが巧みに鳴っている音楽はその場を圧倒しても、心に残るものではありません。

霊性を高めることもありません。沈黙とは無縁です。

 

 

クラシック音楽だけがそうした沈黙を持っていると考えるのは間違いです。

沈黙を知らないクラシック音楽の方が多いのですから。

素晴らしい音楽には、作曲家の演奏家の沈黙が生きていて、

聞き手は音となった沈黙の世界に誘われているのです。

 

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音楽は言葉よりも巣立った沈黙に近いところにいますが

目指す未来の沈黙には言葉のほうが先を行っています。

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