月とライアー
萩原朔太郎は詩集「月に吠える」で月に語りかけています。
夜空に浮かぶ月は、くっきりしていたり朧だったり、語りかけたくなるような美しさです。
萩原朔太郎だけでなく、詩心のある万人にとってそんな魅力がいります。
月は、太古から詩人の心の鏡として、いつも悩める詩人たちを励まし慰めていたようです。
勇気を出して月に語りかけてみればいい、きっと詩情豊かな答が返ってくるとおもいます。
ドイツ語のLauneは心の様子、情緒、感情という意味の言葉だが、そもそも はラテン語の月Lunaです。
英語でmoon-struckは気が狂ったということですが、原因は「月の力に打たれて」ということらしいです。
月は人の心に忍び込んでは時々よくないいたずらをします。
しかし月には別の姿があることを、私は知っています。
月が女神となった時です。
月の女神様は優しく、人間の深い孤独を理解してくれます。
理解するだけでなく、あらゆるものを、地味なしっとりとした美しさに変えてくれる。
心のケアーには月がいい。
現代人は月に語ることを忘れてしまったのかもしれない。
ミヒャエル・エンデさんとゴッコ・ローリーの伝説という劇の話していた時に、急に話しが月のことになりました。
その時に「アポロが月に行ってからは、月を見る楽しみが無くなってしまった」と仰っていました。
同じように「太陽エネルギー」として太陽を見ていると、太陽は利用するためのものにしか見えません。
もっと夢のある空間が人間にはあるのでは・・
私は、勝手に、ライアーは月から来た楽器だと決めています。
できるならすがすがしい夕べ、潤っている月に向かって心行くまでライアーが弾いてみたい。
願わくば月の下にて・・・
月は私のライアーの音にどの様な答をくれるだろうか。
ライアーはギリシャの神アポロのものということになって伝わっているが、違う様な気がしていました。
太陽的アポロはライアーには不向きな気がしてならなかったのです。
太陽の華やかさとライアーは別の世界のものです。
神話をよく調べてみると、実はライアーを作ったのは、アポロの弟、あの謎めいた神様ヘルメスなのだ。
ヘルメスの神様は、エジプトの時にはトスと呼ばれ地中海一帯に影響のあった神様でした。
エジプトの時代の人は情熱的に星の観察をしていました。それがギリシャに伝わります。
そのころの人々はきっと月のことにも詳しかったはずです。
当時の暦は陰暦でした。
月が人の意識の礎だった時があるのです。
こんなことを思いながら、ようやくライアーの居場所が見つかった様な気がしました。
月の光が心にしみこむように、ライアーの音は心にしみこみます。
私はライアーを弾く度に月の楽器だと固く信じてい弾いています。