続 月の話し
月というとなぜか焼き物のことが思い浮かびます。
登り窯で何日も焼かれたう釉薬をかけていない焼き物です。
焼き物といってもここでは、もうお分かりだと思いますが、陶器の話しです。
ここ半年の間に中国と韓国に縁があって行って来ました。
仕事でしたからほとんど探索旅行はしていませんが、陶器というのは日本ほど普及していない様な印象を持ちました。
というより、中国と韓国では磁器をよく見ました。磁器が主流なのでしょう。
韓国で見た青磁は、それはそれはさわやかで、遠くの世界が透けて見える様なものでした。
青磁の亀と、亀をモチーフにしたカップをお土産にいただき、毎日眺めています。
ヨーロッパでChinaと言うと、最近は世界状況に変化が起きていますので変わって来ていますが、磁器のことでした。
アジアからヨーロッパに伝わった焼き物はほとんどが磁器です。勿論昔は日本からの焼き物も磁器でした。
中国と韓国をすこし体験してからは、陶器こそが日本人の心にマッチしている、そんな気がしています。
陶器の持つ柔らかさと土の余韻です。
若者の間で土に帰ろうとする人たちが増えています。
土に帰るとはいっても、お墓に入ることではありません。
土の感触を、人生の中に持っていたいと願う若者たちです。
農業に向かう人が圧倒的に多いですが、焼き物に向かう人も随分います。
土離れした生活、テクノロジー化した生活におさらばしようとする時に浮かんでくるイメージです。
陶器の持つ土の余韻が、そうした若者に何か語りかけているのでしょう。
磁器と陶器ではたたいた時の音が違います。
磁器は高い透明な、ガラスに近い音を出します。
金属的な音と感じることもあります。冷たさもあります。
陶器はあまり響きません。
あまりどころか全然音にならないものもあります。
しかしぬくもりがあります。
釜に入れて焼く時の温度差でかたずけてしまえばそれまでですが、陶器を好む民族性を感じます。
あの音にならない陶器をたたいた時の音、どこか日本音楽の原点に通じるものがある様に思うのですが・・
音楽だけでなく感性の原点なのかもしれません。
いぶし銀の様な味わいです。
ピカピカ光る銀が使いこまれてゆくと、黒光り、こげ茶色光りしてきます。
汚れているわけではないのです。銀の錆びの持つ特性です。
そこに外の光からは得られない独特の光を感じるのです。
西洋の教会の鐘の音と、日本のお寺の鐘の音と響き方の違いでもあります。
月の光はそんなものを思い出させてくれます。
月の光も銀色です。
金色ではなく銀い目です。