今と未来を結ぶ糸
今と未来とは糸で結ばれている様な気がしています。
私はその糸を見つけたいと願っています。
今と未来を結ぶこの糸は、今の中に閉じ込められていては見つからないでしょう。
現実という名のもとに今に振り回されていても駄目な様な気がします。
未来をぼんやり空想してもやはり見えてきません。
未来は既製品ではないですから買って来ることもできません。
未来は案外曖昧です。
ある様でないとも言えます。
それはきっと、未来というのは一人一人が作り出すもの、というところに本質があるからです。
未来を考える時に目標は大事ですが、目標に振り回されてしまってはもとの黙阿弥の様な気がします。
未来を作るのです。
未来を積極的に意図するのです。
作るという意識が大事です。
作るという不思議が「未来」という言葉の中には宿っています。
ものを作ったことのある人は、作るという作業がただがむしゃらに頑張っても駄目だと知っているはずです。
機械が作るのではないので、何時間でどのくらいできるという計算は成り立ちません。
ものを作るためには想像力が必要です。
想像力から生まれたビジョンを現実のものにするのです。
それをする力は意志の中に宿っています。
想像力は未来からやって来るという風に考えたらどうでしよう。
やって来ると言うと、棚からぼた餅の様に聞こえるかもしれませんが、実は直感的な積極的なものです
この想像力、今を抜け出すためにはとてもたのもしいものです。
想像力と創造力とは字づらは違いますが、実は同じ根っこを持った同種類のものなのです。
私は今を生きているだろうかという問いは、刻々と今を抜け出して新しい今を作っているだろうかだと思います。
今を抜け出すためには今が充実していることが条件です。
充実しているといえるためには充実させたいという積極的な働きかけが必要な気がします。
ないもの欲しがりは不満の塊ですからそことは区別しないといけません。
ないもの欲しがりは外に自分を満たしてくれるものを付けようとしています。
そうではなく、自分の中から、今をもっとよくしたいという願いを発するのです。
人生というのは一日一日の繰り返しではないと思います。
一日一日が成長している、そう考える時にしか人生に光が差し込んでこない様な気がするのです。
そして自分の中にこんこんと湧いてくる想像力の泉を見つけられたらしめたものです。
そうしたら人生という植物は成長を始めるでしよう。
それが未来につながる糸ではないでしょうか。
きっと、それは目には見えないものです。
人間がものを作ることを放棄した時、人間の手がものを作らないことを選んでしまった現代です。
もの作りをもう一度考え直してみたいものです。
もの作りの精神を。