選択の難しさ (情報過多とうつ病) ー その1。

2017年1月24日

今の社会を見渡すと、物が溢れています。大量生産が始まった時から物は増え続けているわけで、グリム童話の「甘いおかゆ」と言う話のような状態です。もう一つは情報です。かつては本、雑誌、新聞といった印刷物が手段でしたが、いまでは本も売れ行きが悪く、新聞も発行部数が大幅に減って、主流はインターネットに変わってしまいました。情報量は一年で数倍になると言われています。これからも拍車がかかってくるはずです。
二つ目の情報の増加を見て見ましょう。
情報は私たちの生活をいろいろに結びつけ便利にしてくれるものです。ところが情報がありすぎて、その中から何を選択したらいいのかわからなくなった時点で、本来は便利を助けてくれたものが別のものに変わって、私たちを蝕むようになってしまいます。情報の選択の中に不安が迷い込んできたのです。
そもそも選択すると言う作業はなかなかむずかしいものですから、普段の生活で選択しなければならないのにできないことというのは頻繁にあります。食事のために入ったレストランでメニューを見ても何を食べたいのかわからないことというのはみなさん経験があると思います。
選択するときは、大袈裟な言い方ですが、いつも判断しているのです。判断力が働いているのです。土地を買ったり、家を買ったり、車を買おうとする時、あるいは友人の誕生日のプレゼントを選ぶ時、主婦の日常の夕食の食材の買い物、スーパーであれこれと悩んでいる時、判断力によって選んでいるのです。
料理番組や、料理雑誌などで情報過多に陥った主婦は、知りすぎているために却って決めかねると言うことが起こってしまいます。
こうした現象をもう少し詳しく見てみると、そこから生じる私たちへの影響は精神衛生上好ましいものではないような気がしてきます。私たちを判断停止の状態に導きます。迷いの真っ只中にほうり込まれてしまうのです。抜け道がない袋小路に迷い込んだようなものです。
抜け道を見つけなければなりません。ここで抜け道に当たるのは、今晩はなんの料理で、そのためには何が必要かと決めて、それを買うときです。選択して行動に移すことです。迷った挙句なんとか買えた時、道は開け、迷いは解放され、精神的に健康をたもてるのです。私たちは常に何かを判断し、それを行動に移しながら精神的な健康を維持していると言うわけです。
情報が溺れているというだけでは問題ないのですが、情報に振り回されているという状況になると袋小路現象です。情報集めに専念している人たちは自ら袋小路に向かっているようなものなのです。
情報をかき集めすぎた時、頭の中はどうなっているかというと、蜘蛛の巣を張り巡らしたようなもので、思考機能は停止しています。当の本人はとても苦しいと思います。知っているというありがたいことが、苦しさ変わり、そして苦しいでは終わらず、妄想に悩まされ、果ては病気になってしまうでしょう。
この状況はうつ病そのものです。

うつ病の人と話していると、行動に移せないで苦しんでいるのが伝わってきます。
行動という言葉は学問的で人生の温もりがないので平易な言い方にして、好きなことが見つからない、やりたいことがわからないと言い換えて見ます。
好きなことをしていれば人間健康なのです。
                              続く

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