ハイドンの発見
ハイドンの音楽はいいですよ、と言いたくてこの文章を書いています。
ここ何ヶ月は自分の持ち物の整理を強いられています。持ちすぎた物の整理といったほうがいいようです。その中の一つにレコードの整理があります。ほとんどがいただいたものなのですが、懐かしいレコードのジャケットを見ながら、手元に残すか、捨てるかを強いられているわけで、肉体的にというより心理的にきつい仕事です。
昨日ハイドンのレコードをまとめておいた所を整理していた時、最近ハイドンの音楽を聞いていなかったこともあって、久しぶりにハイドンの音楽との出会いを色々と思い出して浸っていました。
ハイドンの音楽の特徴、それは何をさておいてもシンプルさです。ハイドンを聞くというのは、そのシンプルな響きに出会いたかったからでした。指揮者フルトヴェングラーがハイドンのシンブルさを、天上的なシンブルと呼んでいたことをジャケットの文章で知り、わが意を得た思いで嬉しくなってしまいました。
そのシンプルさ、実に楽天的なんです。19世紀になってから見え隠れする深刻さとは全く違うもので、さらに澄み切った空気、そしてその中に輝く太陽の光といったものを加えるとハイドンが見えてきます。
弦楽四重奏、チェロ協奏曲二番、ヴァイオリン協奏曲の一番はレコードが擦り切れるくらい聞きました。そのたびに、演奏する人にも寄りますが、ハイドンの優しさに触れる思いがしたものです。感動するというより、澄んだ空気の中を散歩している時のように心地よく、癒されていたような気がします。
整理の手を休めてしばらくハイドンの世界に耳を傾けていると、だんだん自分がいい人になって行くのです。勿論錯覚です。
でもそのあとの仕事がはかどったことは事実なんです。