未完成交響曲、シーベルト
ここ二回程超スローテンポに触れてみました。
今日はシューベルトの未完成交響曲で三度目の超スローテンポということになります。
この交響曲がスローとどういう関係があるのかと首をかしげ.る方もいるでしょうから、少しだけそのことに触れておくと、この曲はスローの精神で書かれているということなんです。それでここにとりあげるのも悪くないかなと思った次第です。力を入れすぎると長くなりそうなのでできるだコンパクトにまとめたつもりです。最後まで読んでいただけたら恐らく色々なことがわかっていただけると思います。
この交響曲は西洋音楽の中の突然変異です。こんな変わり種はこの曲が書かれるまでかなったし、これからはどうなるかわかりませんが、西洋音楽の中に異変が起きない限り生まれないでしょう。未完成に終わったことが理由ではありません、そんな曲なんかは掃いて捨てるほどあります。そうではないなくこの曲には西洋的感性、思考にそぐわない体質があって、行き先を見失いそうな無重力な不安定さの中で調和がとれているからです。音楽が何かを表現しようとしているうちは、第二の未完成は期待出来ないのです。
少し横道に逸れますが、シューベルトが歌曲の王と呼ばれていることは皆さんもよくご存知だと思います。正真正銘の歌曲王です。数え方によって随分変わってきますが、作られた歌は公には600曲ほどということです。でもそんなことはどうでもよくて、ドイツの今日の歌曲の状況をお話しすると、なぜ彼が本当の歌曲王なのかが見えてくると思います。実はドイツでは歌曲なんてすっかり忘れ去られて、コンサートをやりたくても人集めができなくて困っています。ブラームスもシューマンもシュトラウスもヴォルフも歌曲の夕べは閑古鳥が鳴いています。でもシューベルトの歌は聞きに来る人がいるんです。摩訶不思議な人気です。
もう一つ歌曲王にまつわることでいうと、シューベルトの歌曲はメロディーの美しさはいうまでもないことですが、伴奏が素晴らしいのです。メロディーも湧くように生まれたのでしょうが、そのメロディーを包むような伴奏を忘れてはシューベルトの歌曲は語れないのです。歌曲の王、伴奏の王それがシューベルトです。
特に歌は伴奏が目立ちすぎると歌が生えないですし、単調でも飽きてしまうというもので、高度な音楽的センスが要求されています。シューベルトの音楽は伴奏の精神、つまり無私であって自己主張をしない精神に支えられているのです。
未完成は演奏される回数は多いし、好きですという声もよく聞きます。ドラマ性がある訳ではないし、曲がなにか特別な、例えば人類愛だとか、宗教的にキリストの受難だとか昇天を表現しているという訳でもないのに、とても好かれています。好きとしか言えない何かで人が聞きに来るのです。歌曲もよくにいてい、歌詞が二流の詩人からだと文学者たちは指摘しそっぽを向きます。だから聞くに値しないとインテリ層の人たちからも相手にされないのに、実際には聞きに来る人がいるのです。高尚な説教が聞きたいわけではなく、歌で日常から非日常へと飛び出したいのです。そして心をリアルに感じるシューベルトのメロディー、それを包む伴奏にひたりたいのです。みんなそんなことが好なんです。
ちなみに好きですという人にどんなところが気に入っているのか聞いてみると
「音楽が角張っていなくて、海のうねりのようで、穏やかな音楽の流れ」
「自己主張がないよね」
という返事がある友人から返ってきました。
他に返事があったのですが、この返事ほど興味深いものがなかったのでカットします。
わたしは
「この曲は何か言いたいことがあるのだろうか」
と思いながら聴いています。
まだはっきりしたものがつかめていません。
音楽会では、
「今日はどんな演奏が聞けるのかぁ」
とワクワクしながら始まりを待っています。
この曲、わたしの個人的な感想ですが、どの楽団が、誰の指揮で演奏してもそこそこに聴けるものになるので安心です。大きく外れることがないと同時に極め付けのようなものがないのもこの曲の特徴です。高等学校の音楽クラブが演奏した未完成でも楽しめるし、超一流のオーケストラでも楽しめるしと、不思議といえば不思議な代物です。ほかの交響曲では起こりえないことが起こっているのです。
もう一つ個人的な感想です。
わたしはこの曲を聞いている時、いつも人の後ろ姿をみるのです。ほとんど毎回です。ある時は夕陽に向かって黙々と歩いている人、ある時は森の中をゆっくりと散歩している人、ある時は浜辺を歩いている人とその日の雰囲気や気分でいろいろですが、ある時は職人さんの仕事をしている後ろ姿が見えてびっくりしました。いつも決まって人の後ろ姿なんです。やや大きめな背中も共通した特徴です。
この後ろ姿は超スローな演奏を聞いている時にも時々現れますから、未完成も超スローの部類の音楽ではないかと思ってここにとりあげたのです。今までは演奏の超スローでしたが、今回は作品としての超スローでした。